2013年10月18日金曜日

弁護士会の矛盾と国際化からの立ち遅れ ― 日本の弁護士になることを勧められないもう一つの理由



今まで弁護士が入ってこなかった分野でも弁護士の資格を持った人が活躍して欲しいと願っている人は司法改革賛成派、反対派を問わず多いような気がする。しかし、この考え方が今の弁護士会の制度と大きく乖離するのではないか。

今まで弁護士が入ってこなかった分野というのは、そもそも弁護士資格、つまり弁護士登録がなくても業務を行うことができた分野がほとんどである。例えば、有資格者が国際機関、企業内、海外で働くとか、公務員として働くためには、弁護士登録は必須ではない。

日本で弁護士登録をすれば、強制加入である弁護士会に所属し、年間60万円から100万円支払わなければならないが、登録しなくても同じ業務を続けることは法律上問題がない。

すると頭の中で登録を続けた場合の負担を計算してしまう。

所属弁護士会によっても違うが、「10年で、600万円から1000万円支払うのか」と。

一方、登録を続けた場合の利益も考えてみる。弁護士であることを名刺に記載して信用を得たり営業を促進するといった効果があるかもしれない。しかし、日本の弁護士の地位が低下している現在においては、国際機関や企業の名前、その組織の中でのポジションや肩書の方が、日本の弁護士という資格よりも信用が得られるかもしれない。

「登録し続ける負担は非常に重く明確であるが、その負担から得られる利益についてははっきりしない」となれば、登録を抹消する人が増えてくるのは当たり前である。それは、収入が十分あって弁護士会費を支払える人であってもである。登録を抹消する人は弁護士会費を支払えないからだと結論付けるのは端的過ぎる。合理的な経済人であれば、負担と利益を天秤にかけて物事を考えるだろう。余談ではあるが、給料が他の事務所より比較的高い四大大手事務所ですら、留学中や出向中を理由に弁護士登録を抹消している弁護士がいることをホームページに記載しているくらいである。

つまり、今まで弁護士が入ってこなかった分野で弁護士の資格を持った人が活躍することになっても、今のままの弁護士会の仕組みであれば、有資格者ではありながら弁護士登録をしていない者を増やすだけである。

弁護士会には他にも問題点がある。それは、日弁連と単位弁護士会の両方に所属することを強制されているという点である。どの単位弁護士会に所属するかは、その弁護士が所属する事務所の所在地によって決まる(東京の場合は3会あるので、所在地だけでは決まらない)。

しかし、例えば、日本の事務所と関係なく海外で働く日本の弁護士はどうすればよいのか。

日本の住所を登録に使えない者は、弁護士登録ができないのである。登録した事務所の住所はインターネットで公開されるので、日本にいる親戚の住所を使わせてもらうというわけにもいかないだろう。あとは、単位弁護士会費が高くない地域に所在している事務所の弁護士にお願いして名前を置かしてもらうくらいだろう。*

恐ろしいことに、日本の弁護士会は、日本の法律事務所や日本企業に所属することなく海外で活躍する弁護士を想定していない。そのような弁護士は登録を抹消せざるを得ないということだろうか。

最終的には「将来登録を抹消する可能性が高いのに、なぜそもそも弁護士資格を得ようとするのだろうか」という疑問に突き当たる。

これからは国際化から全く立ち遅れている弁護士会の体制も法曹資格不人気の重要な要素となっていくだろう。

弁護士会費の問題に戻るが、海外の法律事務所との競争も視野に入れなければならない国際化の時代に、弁護士会費の高さが、国際競争の足かせともなりかねない。例えば、400人弁護士がいる事務所であれば、単純計算すると年間2億4000万円から4億円の余計な経費(弁護士会費)がかかってしまう。

弁護士をめぐる制度はめまぐるしく変わっているが、日本の弁護士会は古いままである。時代の流れから完全に取り残されている。


*名前を置かせてもらう事務所には弁護士会から不必要な雑誌等が大量に届くので、大変迷惑をかけることになる。これだけ技術が進んでいるのに、何故電子化してメールで送信しないのかと頭を悩ませるばかりである。


2013年10月9日水曜日

新人弁護士育成は自己の利益にならない?


アメリカの弁護士になって最初に日本の事務所との大きな違いとして感じたことは、個々の弁護士は新人を育成するという考え方がなく、仕事を覚えたかったら、自分からかじりついていくしか方法がないということだ。

大手の事務所は事務所として新人育成のプログラムを用意しているが、個々のパートナー弁護士からすれば、新人を使うかどうかは、自分にとって使い勝手が良いかという観点で決めている。新人を育成するために手取り足取り教えようという気持ちはない。能力があっても自分の思うように動かない弁護士や、自分とクライアントとの関係を脅かすほどクライアントに積極的にコンタクトしようとする弁護士は、使い勝手が悪いのである。

パートナーにとって使い勝手の悪い新人弁護士は仕事を与えられなくなり、事務所が課すビラブルアワーの目標が達成できなくなり、やめざるを得なくなる。


一般論として、自由競争が活発で転職が簡単な社会では、経験者が新人を育成しようという動機が薄れる。
逆に極端な自由競争がなく、転職が容易でない終身雇用に近い社会では、経験者が新人を将来組織のために有力な人材となるように育てようとする。

アメリカの法律事務所は事務所同士の競争、事務所内の弁護士同士の競争も激しいので、個々の弁護士に新人を教育している余裕はない。また、弁護士の転職は日常的なので、仕事が忙しければ、経験弁護士を募集すればよいし、新人弁護士を育成しても、貴重な実務経験を積んだ新人はもっと条件の良い事務所に転職していくだけである。教育したパートナー弁護士の利益にはならない。

このように、個々の弁護士が新人育成をしない結果、法律事務所に勤めていても、十分な実務経験を積んでいない弁護士が発生する。

例えば、訴訟のディスカバリーの際にドキュメントレビューをする弁護士が必要になるが、それは、アワリーレートの安い新人に任されることが多い。これは、あまり頭を使わずに、時間を多く使うので、弁護士の時間のノルマを達成するには、楽である。しかし、楽な仕事でノルマの時間を達成しやすいからといって事務所内で積極的にドキュメントレビューばかりをしていると後で大変なことになる。ドキュメントレビューはアワリーレートの低い弁護士にしかやらせることができないが、アワリーレートは事務所側が毎年勝手に値上げしていく。つまり、5年6年経つと、弁護士としての能力に関わらず、1時間450ドルとか500ドルなどという、かなり高額なアワリーレートになる。その高額なレートではドキュメントレビューの仕事には向かなくなるが、積極的に実務経験を積もうとしてこなかった弁護士は他の仕事の経験がない。ドキュメントレビューをやらせるわけにはいかないが、それ以外の仕事は経験不足でやらせられない。つまり、仕事がまわされなくなる。


今まで人数が少なく一人一人大切に育てられてきた日本の新人弁護士。これからアメリカ型になることは避けられないであろう。どうやったら仕事を覚えられるか工夫し、能力豊富でクライアントを多く持つ弁護士との人間関係を上手に保ち、自分からかじりついて仕事を覚えるしかない時代が来ている。