私が司法試験に合格したのは、修習が2年間だったころである。司法試験に合格すれば一生安泰と言われ、就職活動イコール法律事務所に食事をご馳走になることであった。また、司法試験に合格したと言えば、周りの人が「すごいですね。」と2歩、3歩下がって驚いてくれた時代である。当時はこれで食うに困ることはないだろうと思っていた。
しかし、2000年に、驚く出来事が起こった。ロースクールと3000人合格を推進するという決議をするための、東京の弁護士会館のクレオの総会の様子は、今でも鮮明に覚えている。普段であれば、委任状を出すだけの地方の弁護士たちが、この時ばかりは東京に集まった。クレオの会場に入りきらない弁護士が会場の外に溢れだし、会館の1階には特別のテレビが設置され、会場の様子が映し出された。日弁連会長を推した派閥が、決議に賛成すると決めた以上、弁護士会派閥支持者によってこの決議が可決されるのは皆承知している。しかし、「お願いだから一言いわせてくれ」と、地方の弁護士たちが地方の弁護士会を代表して、次々と発言していた。予定時間はもうとっくに過ぎている。私は30分程度しか会場にいなかったが、その時の地方からやってきた弁護士の様子は今でも覚えている。地方からやってきた弁護士は皆危機感があった。弁護士会派閥の執行部は、当日まで派閥会員に電話をかけて可決の票集めに必死になっていた。
この当時、既に弁護士になっていた者であれば、ロースクールができて、1年に3000人も合格すればとんでもないことが起きることは分かっていたはずである。しかし、一部には、まだまだ大丈夫という楽観論もあった。修習期間が2年から1年半になった時、52期は3月に修習期間が終わり、53期は同じ年の10月頃に修習期間が終わることになることで、1年間に1500人の修習修了者が発生して就職にあぶれるものが出るのではないかとささやかれていたが、就職にあぶれて困っている人がいるという話を聞くことはなかったからである。
もし、ロースクールと3000人合格計画が実行されたら大変なことになると直感した。
ただ、確信があったのは、ロースクールが始まってから5年は、まだ現状が維持されるだろうということだ。しかし、この5年間は、猶予期間に過ぎない。この5年が過ぎた後に徐々にやってくる、弁護士苦難の時代に備えて、今から何らかの対策をたてなければならない。さもなければ、食っていくのは難しくなるだろう。この5年間をどのように過ごすかでその後の一生が決まると。
そこで、マチ弁から足を洗うことを決意し、マチ弁以外で食べていく基礎を築くための計画を実行した。気が付くと、日本の弁護士資格を使って仕事をしていないことに気づいた。
いつか、皆が司法改革の誤りに気づいて、対策をたてる日が来たら、日本の弁護士に戻ろうかと思ったが、最近ではそのような日が来ることはないと確信するようになった。
驚いたことに、当時東京にいるほとんどのマチ弁から危機感のようなものを全くと言ってよいほど感じられなかったことだ。マチ弁たちは、弁護士苦難の時代が来るのを首を洗って待っているのだろうかと思うほどであった。
ロースクールと3000人決議の票集めのために、当日まで派閥会員に電話をかけて投票を呼び掛けていた弁護士は今頃になってあの時のことを振り返ったりしているのだろうか。