2014年9月14日日曜日

日本の司法修習と米国ロースクールの比較

日本の2年間の司法修習の前期後期修習の授業とアメリカのロースクールの授業を比較してみたいと思う。


司法修習が2年であった頃は、前期修習と後期修習が4ヶ月ずつあり、ロースクールの授業の様なかたちをとって行われていた。期間は合計でわずか8ヶ月であるが、そこで学んだ内容の質の濃さは文章では十分に説明できるものではない。すべての修習生は3パーセントに満たない合格率の司法試験に合格している。法律的な基礎知識は十分ある。ただ、彼らは、事実がはっきりしている事例の法適用についてしか学んだことがない。断片的な証拠や事実の集まりを使ってどうやって法を適用する前提となる事実を作り上げていくか、つまり実務についての知識はない。司法修習の授業はその足りない部分にフォーカスして行われる。教官も法律的な基礎知識が足りないことで理解が出来ない修習生の面倒を見る必要はなかった。
前期修習では週に1回から2回程度、後期修習では、週に2回から3回程度、即日起案の日がある。朝修習所に行って、約100ページから150ページの白表紙を渡される。実際の事件で実際に使われた証拠や書類等が複数入っている。例えば刑事事件であれば、検面調書、員面調書のコピーや、証拠のナイフの写真、検死解剖の結果に関する書面が入っている。午後5時までにすべての証拠を読んで、さらに、判決や冒頭陳述を起案して、理由を説明したりする。1行おきで、40ページから60ページの文章を書くことになる。1週間後くらいには、実際の裁判官、検察官、弁護士の教官が個々の起案に詳細なコメントをつけて修習生に返却し、解説授業が行われる。


当時は、何も感じていなかったが、アメリカのロースクール卒業後にアメリカの中~大規模の法律事務所に入ったとき、日本での2年修習がいかに贅沢で充実したものであったかを思い知った。なんというすばらしいものが日本にはあったのだろうかと。アメリカでは、大きめの事務所であれば各事務所が研修を行うので研修と仕事を通じて、小さめの事務所であれば、仕事のみを通じて実務を学ぶことになる。実際に私も研修を受けたが、日本で得られた2年修習と比較したら、おままごと程度に過ぎない。


アメリカの通常のロースクールの授業は、日本の2年修習時代の前期後期修習と比較したら、言うまでもなく、足元にも及ばない授業ばかりである。法的基礎を教える授業であり、学生は比較的やさしいアメリカの司法試験にも合格していないのである。学生の基礎的な質問で授業が中断されることがしばしばである。学生は実務を学べるレベルには至っていない。
ただ、アメリカのロースクールでも一つだけ心に残る授業があった。それは、既にアメリカで弁護士資格を持っている人を対照したLL.M.である。つまり、このLL.M.を取得しても基礎科目を受講できないので、アメリカの司法試験を受験する資格は得られない。そこで、既に弁護士であるか、JDを卒業してアメリカの司法試験受験資格を得ている人しか入学できない。JDや他のLL.M.コースの人は授業を見学することすらできない。授業はすべて夜に行われ、教授のほとんどは現役実務家である。このLL.M.で、実際の事件の証拠を使って、10人程度の裁判官を含む実務家がサポートし、Scheduling orderからトライアルまで1学期をかけてやるという授業があった。私と一緒に組んだ学生が10年の実務経験のある弁護士だったという幸運もあり、多くのことを学んだ。この授業は日本での修習にも匹敵するものであった。


気付いたのは、司法試験に合格するだけの基礎知識がない学生に実務を教えることの限界である。基礎知識も実務の知識も中途半端になる。学んだつもりになって結局何ら得ていないということになりかねない。法的基礎知識があるかどうかのテストに合格した人に、前期修習後期修習で実務を教えるというのは非常に意味があったのだ。さらに、現役実務家から授業を受けるというのも非常に重要であったのだ。


日本は司法改革で日本独自の素晴らしい制度を失ってしまったようだ。残念でならない。