2014年9月7日日曜日

こうなることは分かっていたはず

アメリカとは関係ないが、まだ日本に法科大学院が出来る前の出来事である。


顧問先の社員のサラ金問題を解決するために、日本の訴訟を担当していたことがある。サラ金会社側は、支配人と称する弁護士資格のない者が裁判に出てきた。最初は、慣れていなくて、周りの弁護士を見ながら見よう見まねで発言している。本当に周りで見ていても危なっかしい気がした。ただ、いくつもの裁判を掛け持ちで担当しているようで、同じ日にいくつも裁判の期日を入れて裁判所をかけまわっているようであった。
驚いたのは、回を重ねていくうちに、その支配人が裁判に慣れて、あたかも弁護士のような振る舞いになっていったことだ。


裁判官「では、次回期日を決めましょうか。〇月〇日午後1時はいかがでしょうか」
支配人「申し訳ございません。その時間は他の裁判の期日が入っておりまして、さしつかえです。」


それだけではない。主張もまともになっていった。


そんな頃、法科大学院構想が本格化してきた。最終的には3000人合格との予定だった。


これは大変なことになると直感で分かった。弁護士、特にマチ弁がやっている事件の大まかにいって70パーセントくらい(私の勝手な感覚であるが)は、あんな難しい司法試験を受からなければ受任できないような事件ではなく、大卒くらいの人が、経験を積むことによってこなすことができる程度の事件なのである。この支配人が証明している。


つまり、特殊な技術や能力が必要な事件をこなせる能力をつけてその道の専門家にならない限り、何倍にも増えた法科大学院卒の弁護士と、70パーセントの事件を奪い合わなければならないということだ。たとえ法科大学院卒の弁護士が旧司法試験組みのような能力がなかったとしてもだ。もともと、70パーセントの事件を扱うには旧司法試験に合格するような能力がなくても問題なかったからである。あとは、営業や経営が上手な弁護士が競争を勝ち抜くだけである。


現在、弁護士の数が増えたことで弁護士、特にマチ弁の仕事の激減が問題化している。しかし、そんなことは昔から分かっていたはずである。少子高齢化によってマチ弁が扱うような事件が減ることも分かっていたはずである。法科大学院導入が決定したときに既に弁護士だったのであれば、この日に備えて対策を立てておくべきだった。


そう思うのは私だけであろうか。