2012年10月11日木曜日

サービスに対して対価を払う意識の違い


日本の弁護士業務がアメリカの弁護士業務と比較して拡大しない理由の一つとして、サービスに対して対価を支払う意識の違いがあるのではないかという気がする。アメリカ人はサービスに対して対価を支払うという意識がある。レストランでチップを支払うのは当然で、ウエイトレスのサービスがよければチップもはずむ。ヘアサロンでもチップを支払う。これに対して、日本では目に見えないサービスは全て無料である。レストランのサービスがよくて当然だし、それに対して特別の対価を支払う必要はないのである。

アメリカの航空会社の多くは航空料金を下げるからサービスをカットするという方針を採用している。アメリカ人は文句を言いながらも、ある程度納得している。サービスにお金を支払うという感覚があるからであろう。日本の航空会社の人が「アメリカの航空会社と同じことを日本の航空会社がやったら、お客様から大変なお叱りを受けます」と言っていた。大部分の日本人はサービスは無料という感覚を持っているのである。

リーガルサービスも目に見えないサービスの一つである。レポートなどとして目に見える形で手元に渡されることもあるが、特殊な分野によってはそのレポートを書くのに長時間の調査が要求されることもある。日本人には目の前にあるレポートに対して、レポートの量に応じて対価を支払うことには慣れているかもしれない。しかし、それを作成するための調査、ある意味リーガルサービスの部分がどれだけ長時間になろうとも、その部分に対して多額の対価を支払うという感覚が薄いのだと思う。

そこで、日本人にとって作成書類1枚につき幾らというような料金体系なら納得して費用を支払いやすいように感じる。まさに、昔の弁理士報酬の料金体系がそれである。技術がどれだけ高度でそれを理解するのに長時間を要する等は関係ない。

また、相手方から実際に幾らか金銭を取り返した場合にも金銭という目に見えるものが存在する。相手方に支払わせた金額の○○パーセントの報酬というのは、ある意味目に見えるものに対する報酬で、その支払いをさせるためにどれだけ手間がかかったか、つまりリーガルサービスを行ったかは関係ない。これは、昔弁護士会が規定していた報酬体系である。

費やした時間に弁護士ごとのレートをかけた額が報酬になるというサービスに対価を支払うような料金体系は非常にアメリカらしい。日本でも大手事務所ではアメリカ的な料金体系を採用しているようだが、日本のクライアントはどう受け止めているのだろうか。

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