2015年10月15日木曜日

日本人は自由競争の意味を誤解しているのでは?

日本人は、自由競争の意味を誤解しているのではないかと思う。

自由競争をさせればサービスが向上して利用者の特になると誤解している人は非常に多い。
しかし、自由競争をさせると、サービスが向上するとは限らないのである。
例えば、電車は時間通りに来なくなったり、ちょっとしたことで停電になる可能性を引き起こすのだ。

常に電車を1分たりとも遅れないように運航するには、お金がかかる。しかし、電車を1分たりとも遅れないように運航したからと言って、それによって、乗客の数が極端に増えることはない。つまり、収益が大幅に上がるわけではない。かけたお金に比例するだけの収益増加が見込めないということだ。例えば70~80パーセントの割合でほぼ時間通り程度に運航していれば、乗客の数は減らないとしよう。鉄道会社がビジネスを優先して利益を最高にしようと思ったら、70~80パーセントほぼ時間通りに電車を運行するのが、最も効率的でということになる。
アメリカを走っているアムトラックは、70パーセントほぼ時間通りであると胸を張って宣伝している。さらに、人が多く乗る時間帯の料金は高く、また、直前にチケットを購入すると非常に高い。好きにビジネスをさせるとこうなるのだろう。利用せざるを得ない利用者がどこまで金を払ってくれるかを見ながら料金を吊り上げ、利用者の足元を見た商売をしている。代替手段であるバスや飛行機の値段を見ながら、客が代替手段に乗り換えない最大限利益が上がる料金はいくらなのかを計算しているのである。自由競争によって利便性が良くなったとは言い難い。


また、電気に関してであるが、アメリカは日本と違ってちょっとした大雨などでも停電することがある。さらには、利用者が少ない地域は停電後の復旧に時間がかかることもある。
日本では、田舎の方まで、コンクリートの立派な頑丈そうな電信柱が立ち並んでいるが、アメリカでは、少し郊外に行くと木でできた細い弱そうな電信柱が立ち並んでいる地域も多い。すべて立派なコンクリの頑丈な電信柱にする費用は高いだろうから、ビジネス的に考えると、丈夫な電信柱を立てたことによる費用とそれによって上がる収益とを綿密に計算するという発想になるのだろう。例えば、すべてを立派なコンクリートで作った場合と、人口の多い都市部だけ丈夫な電柱を作り、人口が少ないエリアについては、簡易な電信柱を立てておいて、何か災害があった時に壊れた部分のみを復旧させる場合を比較し、後者の方がコストパフォーマンスが良いということになれば、すべて立派な電信柱にする必要はないというビジネス判断をくだすことになる。その代り、人口が少ないエリアに住む人は利便性が失われる。

結局、停電のリスクを、一部利用者に負わせることで、利益を最大限にするのである。


自由競争をされることで利用者の利便性が高くなるのは、様々な条件が重なった特別な場合の例外にすぎず、多くの場合は、自由競争をさせることでビジネス判断によって切り捨てられる利用者が必ず出てくるのである。


法曹界でも同じである。自由競争を促進したからと言って一般国民の利便性が高くなるわけではない。事務所が高いリーガルフィーを支払える企業に対するサービスを重視するのはビジネス的に考えれば、正しい判断になるからである。

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