2014年7月8日火曜日

これからの弁護士は組織内で渡り歩ける能力が必要

多分10年以上前までは、弁護士になる動機として、組織内で働くのがあまり好きでないことを理由とする人が結構いたのではないか。

しかし、これからは、組織内で上手に渡り歩ける能力がない人は、弁護士としてやっていけなくなるだろう。つまり、組織内で働くのが好きでないことを弁護士になる動機としてあげるのは間違っている。

アメリカの弁護士を見ていると特に思うのであるが、個性の強い人間的にも難しい弁護士とも上手に接することができ、組織内の情報収集が上手で、内部の権力闘争も把握したうえでそれに巻き込まれずに上手に渡り歩ける能力がある人は、事務所の中で着実に出世していけるが、そのような能力がない弁護士は、事務所を出ざるを得なくなることもある。

まず、アソシエイトとして事務所に入ったら、顧客を多く持つパートナーから仕事を下請けしなければならない。パートナーから仕事をもらえなければ、クライアントにチャージする時間を付けることができなくなり、上層部から見れば、チャージ時間が少なくて事務所に対する貢献度がないとみなされて、外に出される。
どのパートナーがどのような仕事をどの程度持っていて、どの程度下請けする必要があるか、そのパートナーの下で働いている弁護士は誰なのか、そのパートナーと敵対関係にある弁護士は事務所内にいるのか等、様々な情報を収集しなければならない。秘書、パラリーガル、他の弁護士などと上手にコミュニケーションしながらそのような情報を集めなければならない。

パートナーから仕事を下請けされたら、そのパートナーにとって使い勝手の良い弁護士にならなければならない。頭が良いことと使い勝手の良いことはイコールとは限らない。パートナーの間違いをクライアントの前で得意げに指摘したり、勝手にクライアントに直接コンタクトをとるなどして、パートナーに不信感を与えたりすれば、次から仕事がまわってこなくなる。自信過剰は命取りになることもある。

自分に仕事をくれるパートナーと敵対関係にあるパートナーが同じ事務所内にいる場合に、その敵対関係にあるパートナーとどのように接するかは要注意だ。
ある弁護士がアソシエイトの頃に知人から仕事の依頼を受けたときの話だ。自分に仕事をくれるパートナーの専門分野とは少しずれるからと、そのパートナーと敵対関係にあるパートナー弁護士に知人からの仕事の依頼の話を相談したら、その後、仕事をくれていたパートナーとの関係が悪くなり、最終的に、そのアソシエイト弁護士は事務所を移籍することになったそうだ。

パートナーになるためにも、パートナーとして弁護士を続けるためにも、組織内でうまく立ち回る能力が要求される。なんといっても事務所内ポリティクスを分かった上で上手に立ち回ることが要求される。


日本でも徐々に少人数の事務所の信用性が下がり、法人特に中規模から大規模の法人は小規模の事務所に重要な事件を依頼しなくなっている。昔は、こんな大企業がこんな小さな事務所に依頼し続けているのかとびっくりすることが結構あったが、弁護士の質にばらつきがでればでるほど大きな事務所を信用する傾向に拍車がかかるであろう。

事務所の経営を安定させるためにはコンスタントにリーガルサービスが必要な企業をクライアントとして獲得することであり、一生に数回弁護士が必要かもしれない程度の個人を相手にしてはいられない。個人だけを相手に仕事をするためには、絶えず違うクライアントを開拓し続ける必要がある。つまり、一般に向けた営業に時間とお金をかけなければならない。

ある程度コンスタントにリーガルサービスが必要な企業をクライアントとするためには、事務所の規模が要求される。個々の弁護士に専門性が要求されるために、専門分野拡大のために規模もかなり大きくなる。規模が大きくなれば、様々な思惑を持つ様々な弁護士と一緒に働かなければならない。規模が大きくなれば、上層部は個々の弁護士の事務所の貢献度を見るときに、どれだけ事務所に利益をもたらしているかという観点でしか見なくなる。アメリカではこの事務所への貢献というのが、幾ら事務所にお金をもたらしたかに置き換えられる。

うまく上手に泳がなければ、仕事を与えてもらえず外にはじき出される。外にはじき出された場合、弁護士になってから7年くらいまでであれば、優秀そうに見える経歴があればアソシエイトとして他の事務所に転職できるが、それ以上のキャリアを持っている弁護士は、以前の特殊な人脈を利用するか、既にクライアントを多く持っているなどの事情がない限り法律事務所に転職できない。

では、企業のインハウスとして働けばいいと思うかも知れないが、インハウス弁護士を雇う会社は規模も大きいので、組織内で生き残れる能力が必要とされるのは同じである。

組織に所属するのが苦手だからといって弁護士になる時代は終わったのではないか。