今回はアメリカとは関係ないが、一言述べておきたい。
法科大学院制度が発足した時に、多くの大学が法科大学院を設置することに躍起になっていた。法科大学院という制度ができたのに、自分の大学に法科大学院がないと、大学の法学部の意味がなくなり、法学部の意味がなくなると、法学部に人が集まらなくなり、総合大学と言えなくなると心配したのだろう。
現在、下記の文部省の類型と分類によると法科大学院の実に半分以上の27大学が下二つのレベルに分類されている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/012/siryo/__icsFiles/afieldfile/2014/09/24/1352164_10.pdf
早い話、文部省としておすすめできない法科大学院とのレッテルと張られた大学が半分以上もあると言ってよいであろう。このようなレッテルを張られた法科大学院を持つ大学は、そのことで、他の学部までもが、足を引っ張られて、大学全体としての評価が下がる可能性がある。
つまり、現在、かなり高い偏差値の学部もあるのに、法科大学院に対して国が張ったレッテルによって、それらの学部の評価も下がる可能性がありうるのではないか。
ビジネス感覚のある大学であれば、法科大学院に金をかけて文部省の評価をあげる努力をするより、法科大学院を閉鎖して他の学部を少ないお金で充実させる方がよっぽど見返りがあると考えるであろう。
しかし、最初の話にもどるが、法科大学院制度があるにもかかわらず、自分の大学に法科大学院がないと言うことになると、法学部の人気が下がり、総合大学と胸を張って言えなくなる危険がある。明治時代に法律学校として成立した大学など、その看板学部である法学部を維持するためにも法科大学院制度が存続し続ける限り法科大学院を閉じるわけにはいかないだろう。
そこで、他の学部の評価までをも下げかねない法科大学院を維持し続け、その法科大学院の評価を上げるために、効率が悪いにも関わらず補助金が減らされてもお金をつぎ込まなければならない。
それだったらいっそのこと、法科大学院という制度自体になくなってもらった方が、大学全体の経営という観点から見た場合に、よっぽどありがたいのではないだろうか。
私がそのような大学の大学関係者だったら、法科大学院制度自体を廃止するように働きかけるだろう。
その代りに、法学部に外国のロースクールに留学したいと思っている人たちのためのカリキュラムを導入した特別学科を作り、今の御時世、日本で弁護士資格を取っても意味がないので、海外で法律を学べる基礎を作れるような科目とノウハウを学べる特別な学科であると言って人を集めるだろう。
現状では、下位27校の法科大学院を経営する大学は、法科大学院制度自体を廃止するように働きかけた方が大学全体としてみれば利益が大きいのではないかと思うのは私だけだろうか。
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