2012年12月13日木曜日

「弁護士の数が増えれば訴訟が増える?」の誤解-その1


最近、弁護士の人数が日本でも問題になっている。その際、皆が口にするのは、「弁護士の数が増えればアメリカのように訴訟が増えて、訴訟社会になる」という文言である。弁護士の数が増えるということは訴訟数を増やす一つの要素かもしれないが、それによって日本もアメリカのように訴訟社会になるかというとそれは無理であろう。なぜなら、アメリカには訴訟社会となりうる他の要素が存在し、そのほとんどの要素は日本には存在しないからである。

裁判所への手数料の決め方が違うこと、ディスカバリー制度、クラスアクション制度、陪審制、懲罰賠償等日本に存在しない制度が数多くあること、医療費が高額で無保険者が数多くいること等、理由を挙げたらきりがないくらいである。これから数回に分けて、各要素について説明する。

まず、裁判所へ支払う手数料であるが、日本のように訴額が高くなれば非常に高額な手数料を支払わなければならないということはない。例えば、連邦地方裁判所に提起する場合、訴額に関わらず350ドルである。日本円で3万円程度である。たとえ、100億円の損害賠償を請求する場合であってもである。この程度の額であれば、弁護士が個人依頼者のために立て替えることも簡単である。「勝訴しなければ、1セントたりとも支払わなくていいです」という法律事務所のテレビコマーシャルが流れているが、理解できる。

日本では訴額が100億円とかになれば、裁判所に支払う手数料だけで信じられない金額になる。

ディスカバリー制度があることも訴訟を提起しやすくしている要因の一つかもしれない。例えば、製造物責任訴訟で被害者側は十分な立証証拠を持っていないことが多いが、ディスカバリー制度を通じて製造者に関係書類一切を提出させることができる。不当に提出に応じない場合は、厳しい制裁が課される可能性も高い。これは、日本の文書提出命令などとは全く異なる制度である。このディスカバリー制度を利用することで、十分な立証証拠が手元にない場合であっても、ある程度の見込みがあれば訴訟提起が可能になるのである。つまり、自力では証拠収集能力のない被害者側も訴訟提起が可能となる。

次に説明するクラスアクションは、弁護士にとって訴訟を魅力的なものとする。