2016年4月30日土曜日

またアメリカの猿真似をするのか?

先日、日本の特許関係者と話す機会があった。
日本の特許関係者の中には、日本の特許出願件数が下がっているのは、日本の特許侵害訴訟の損害賠償額の低さにあるという議論があるようだ。さらには、日本の裁判所もアメリカを見習って、特許侵害訴訟の損害賠償額を上げるべきだ、懲罰的賠償を認めるべきだ、という議論まであるらしい。

確かに、アメリカで特許侵害訴訟の損害賠償額が100億円を超えることは珍しいことではない。日本とは雲泥の差である。そこで、アメリカで製品を販売する会社は、将来特許侵害訴訟で訴えられないように、自社の技術に関連する特許をなるべく多く取得しようとする。だから、世界各国の企業が必死になってアメリカで特許を取得しようとするのである。

またしてもアメリカの猿真似を考えている人々がいるようだ。
法科大学院をアメリカから輸入して失敗したのと同じように、日本の特許訴訟の損害額を高くしても、思った効果はないだろう。

アメリカでは、特許訴訟だけでなく、製造物責任訴訟、クラスアクション、様々な訴訟の危険があるが、多くの企業がアメリカ市場で販売するのをやめないのは、アメリカが魅力的なマーケットだからである。
中国でも、共産党国家ならではの危険があるが、多くの企業が中国での販売をやめないのは、中国が魅力的な巨大なマーケットだからである。

それと比較して、超高齢化社会が進み、今後市場が縮小することが予想される日本で、訴訟の危険を拡大させたら、どうなるだろうか。

危険が高くて魅力的でない市場から企業が引き上げていくだけである。

損害賠償額の引き上げは、魅力的な市場と不可分一体でなければならない。猿真似をしても思った効果は表れないのだ。



2016年4月28日木曜日

役職定年

最近、55歳が役職定年という大企業は多い。55歳になると、役員などまで出世した限定的な場合でない限り、今まで会社から与えらていた役職が引っぺがされて、役職がなくなるという恐ろしい制度だ。

会社によっては50歳が役職定年という会社もある。あと何年で役職定年と指折り数えられる年齢になった友人などは、既に役職定年した元上司を横目で見ながら自分があのようになるのも時間の問題と思っているようだ。元上司が今は自分の部下になったと話していた友人もいる。その元上司は、それからしばらくして転職したらしい。元部下の下で働くのは辛かったのかもしれない。

弁護士は、人から与えられた役職ではなく、自分で取得した資格なので、弁護士会費を払い続けられる限り、懲戒処分を受けるようなことをしなければ、人から引っぺがされることはない。そう思うと、弁護士という資格は悪くないかもしれないと思うこともある。

ただ、この「弁護士会費を払い続けられる限り」というのがかなり重くのしかかる。弁護士という肩書を維持するためだけの費用なら、費用対効果から考えてもコストがかかりすぎる。役職定年に達する年齢どころではなく、30代でも会費が支払えなくなって、弁護士資格を返上している人もいるくらいだ。

それと比較し、アメリカの弁護士資格なら、日本のようなべらぼうな会費がかかるわけではないので肩書維持のためだけに資格を維持できる。

会社に勤めている人が、会社から費用を出してもらって、アメリカのロースクールに留学させてもらえることがあったら、必ずアメリカの弁護士資格を取得して帰るべきだと思う。役職を失っても、名刺にアメリカの弁護士と明記することができる。

2016年4月27日水曜日

大手企業のリーガルコストは一向に下がらないだろう

しばらく更新していなかったが、このブログで、一番訴えたいと思っていたことは、3年前の下記の投稿である。


弁護士が増えることで価格競争になり、弁護士を安く使えるようになるというのが大企業から見た司法改革の目的であったような気がする。しかし、その目的は本当に達成されるのか疑問である。日本と比較したら信じられない数の弁護士を輩出しているアメリカを見ていると弁護士の数が増えることは、リーガルフィーを下げることにはつながらないのではないかと考えざるを得ない。日本にも今まで以上に高いリーガルフィーを支払わなければならない時代が到来するのではと思う。その理由は、一般に言われているような、弁護士が増えれば訴訟が増えるなどという短絡的なものではない。

まず、価格競争になるためには、マーケットに出回る製品の質にそれほど違いがないことが大前提となる。質が悪くて使い物にならない製品が多く出回っていて、極一部の製品のみ質が良いという認識がマーケットに広がっていれば、極一部の質の良い製品に人気が殺到し、その製品の価格が高騰することもありうる。

市場の極一部に質の良い製品があるのだが、それがどの製品なのか、専門家にしか分からないということになれば、専門家にお墨付きをもらった極一部の製品が値上がりするだろう。

さらには、製品として既に出来上がっているのではなく、注文を受けてから特注で製造されるもので、注文を決めた際にはうまく出来上がるかどうか分からないということになれば、特定の有名な職人に注文が殺到するだろう。有名な職人が一人で作るのではなく、職人の所属する会社がチームとして製造するということになれば、有名な職人が所属する会社がブランド化し、その会社に注文が殺到する。
 
司法改革の最大の成果は、弁護士の数は増えたが、質はまちまちであり、優秀な質の高い弁護士は極一部であるという共通の認識がマーケットに広がりつつあることだ。後で説明するが、この認識は、良し悪しを客観的に評価するのは非常に難しいリーガルサービスの特性とあいまって、弁護士費用を高騰させる役割を果たす。

さらに、リーガルサービスは、既に出来上がっている製品を購入するのとはかなり異なる。サービスを受ける前に最終的にどのようなサービスが提供されるか分からないし、誰がサービスを提供するかでサービス内容が大きく異なる。また、間違ったサービスが提供されると重大な結果が生じかねない。間違っていなくても、最高のサービスが提供されたかされないかによって結果に大きな差が出る可能性もある。特に大企業にとって、提供されたリーガルサービスが悪かったことで損失を被ることは甘受できるものではない。

これらは、リーガルフィーをあげるための必須条件となる。
弁護士の数は増えたが、質はまちまちであり、優秀な質の高い弁護士は極一部であるという共通の認識がある場合、法律事務所の選択に気をつけなければ、例えば80パーセントの割合で質の悪いリーガルサービスしか受けられないと分かったら、恒常的に弁護士を使う必要がある企業は法律事務所選択に神経をとがらせることになる。

リーガルサービスの特徴は、専門家でなければ客観的に質を評価することが非常に難しいこと、サービスの提供を受ける前にどのようなサービスを受けられるのか分かりにくいこと等々他のサービスと異なる点が非常に多い。良い法律事務所を選択すると言っても、それは口で言うほど易しいものではない。
リスクを避けたがる日本人の特徴から考えると、知名度があり、優秀との推定が働く弁護士(有名な法科大学院を卒業したか、予備試験合格者)しか採用しない事務所で、海外留学経験をして米国弁護士資格も有している弁護士が多くいる、元高裁判事経験者、元キャリア官僚出身者の弁護士もいる事務所を選択しておけば、まずは間違いがないだろうと考えがちである。そのような事務所を選んでおけば、法務担当者は事務所選択を誤ったと責任を負わされる可能性も低くなる。

サービスの良し悪しの判断が難しい市場で質にばらつきがあると、萎縮的な効果が発生する。
例えば、市場に30パーセントの優秀な弁護士がいたとしても、保守的な大規模中規模企業は、市場にいる30パーセントの優秀な弁護士に依頼するのではなく、例えば優秀そうに見える肩書きを持つ10パーセントの弁護士にしか依頼しなくなる。萎縮的な効果によって依頼が10パーセントの弁護士に集中するのである。
この萎縮的な効果により更なる問題が発生する。弁護士の数が増えたうえで、依頼が一部の弁護士に集中すると、弁護士であっても弁護士としての経験をつめなくなる弁護士の割合が激増することである。それは今までのように新人弁護士に限った話しではない。例えば離婚、相続、貸金返還などの事件処理の経験がいくらあっても、それだけでは企業法務にはほとんど役に立たないだろう。大企業が大手事務所を選択する傾向が強まると、小さい事務所に勤務している一般的な弁護士は企業法務の経験を全くつめなくなる。給付制、貸与制問題で、最終的には修習をなくそうという動きも出てくるだろう。修習がなくなれば、経験のあるなしという弁護士間での新たな格差が広がる。どの事務所に就職したかで弁護士としての経験が全く異なってしまう。小さな事務所では個人相手の事件の経験しか経ることができない。そうすると、小さい事務所を選択する危険がますます増大してしまい、企業が大手事務所を頼る傾向に拍車がかかる。

小さい事務所は、ブティック事務所という形で、特定の分野に特化して、企業のクライアントを持ち続けるか、一般市民向けのマチ弁事務所になるかという選択を迫られる。ただ、ブティック事務所は、その特定の分野の需要が経済情勢などから落ち込んだ時に、経営難から大手事務所に吸収される危険を抱えることになる。

大手事務所は、これからどんどん少数派になる優秀層の新人弁護士を自分のところに囲い込まなければならない。その時、強敵となるのが外資系、特に英米系法律事務所である。

優秀な人材を囲い込むには、二つの重要な条件がある。高い報酬と、優秀層がやりがいを感じられる仕事があることである。

外資系事務所で東京にオフィス(単なるリエゾンオフィスではなく)を有するのは英米でも巨大事務所と言われる事務所に限られる。弁護士のアワリーレートも高く、事務所内での競争も激しく、弁護士に対するノルマも厳しい。しかし、資金力があり、弁護士への報酬が格段に高い。また、英語を必須とするグローバルな仕事も結構あるので、弁護士としては仕事にやりがいを感じやすい。また、海外企業の日本関連の仕事を行うことも多く、クライアントや他の弁護士と英語でコニュニケーションをとるなど、日本の大手事務所とは違ったグローバル感覚を味わえる。

この点、大手の日本法律事務所は、外資系事務所にはかなわない。外資系に対しては厳しくディスカウント要求しないが日本の大手事務所に対してはディスカウント要求する日本企業は多い。日本法律事務所の主な収入源は日本企業であるが、外資系事務所の収入源は世界の有名企業である。つまり、大手であっても日本法律事務所は、英米系事務所ほど資金力がない。また、日本の大手事務所には留学経験者が多いとはいえ、たった1,2年の留学経験に過ぎず、渉外事件を英米系事務所の助けを借りずに処理できるだけの能力はないことが多い。つまり、外注に出すのである。大企業もそれは分かっており、大手事務所には、マンパワーが必要なM&Aなどの依頼に限って、グローバルな渉外事件は英米系事務所に直接依頼するところが多い。マンパワーが必要な仕事の歯車として働かされても、やりがいを感じることはあまりない。つまり、新人弁護士報酬の面でも、やりがいを感じる仕事の面でも日本の大手事務所は英米系法律事務所に見劣りしがちである。つまり、少なくなってきた優秀な新人弁護士が英米系事務所に流れる可能性が高くなってきたのである。

実はこれは新人弁護士に限ったことではない。既に業界で有名な弁護士に魅力的な条件を提示して大手事務所から引き抜くという英米系特有の方法もある。

日本資本の大手事務所は、英米系事務所が手薄なアジアに支店を出して巻き返しを図っているが、司法改革の失敗が放置され、これ以上優秀な新人弁護士が減り続けたら、英米系事務所に対抗できるのか分からない。


現在は、旧司法試験最後の質にばらつきがない世代が40歳代の弁護士として活躍しているが、この世代が50代後半になる頃まで司法改革の失敗がこのまま放置されれば、日本の法曹界の異変がはっきりと見えるようになるだろう。

質のばらつきが広がることで、弁護士というだけでは社会的信用を得られない。ブランド力のある事務所の弁護士であることが、社会的に信用を得るために必須となる。さらに、大手事務所に勤務する弁護士が勝ち組で、個人を相手とする弁護士やマチ弁は負け組みと揶揄する風潮が発生しかねない。今までは、小さなマチ弁事務所で採算の取れないような人権活動をやりたいと思う優秀な弁護士がいた。それは、弁護士は社会的に信頼され、尊敬される職業だという誇りがあったからであろう。マチ弁は負け組みと揶揄されるようになれば、優秀な弁護士は大手事務所や大企業以外で働くことを考えなくなるだろう。

資金力と仕事内容の面で圧倒的に優位に立つ外資系事務所が市場に数少なくなった優秀な弁護士を吸い上げるだろう。吸い上げられるのは新人ばかりではない。日本の大手事務所から経験弁護士をクライアントごと引き抜こうとする外資系事務所が発生するだろう。

こうなると、大企業は大手事務所、特に外資系事務所に依頼する傾向が強まる。この傾向が何を意味するかと言えば、余っている弁護士は大勢いても、企業法務をやる上で必要な実務経験をつめない弁護士が数多く発生するということだ。企業が弁護士の質と経験不足に不安を感じることで、高くても大手の有名な弁護士に依頼せざるを得なくなるだろう。

このブログでも何度も取り上げているとおり、外資系事務所、特に米国事務所はビジネスに長けている。事務所内部にマーケティング部があるのが通常なのだ。どのような経路をたどるか分からないが、最終的に彼らに多額のリーガルフィーを支払うことは避けられないであろう。それは、米国政府の圧力による制度の変更を伴うかもしれない。日本の事務所のように下手なディスカウント合戦で自滅したりしないことは確かである。

大企業もリーガルフィーを下げるために今より多くの社内弁護士を雇うという方針を決定するかもしれない。しかし、新人弁護士を雇ってもあまり役に立たない。社員を留学させて米国弁護士資格を取らせてみても、それだけでは役に立たない。外資系事務所等で最低3年から5年の実務経験を積んだ弁護士を社内弁護士として採用しない限り、社外弁護士の仕事を評価したり、社外弁護士に適切な指示をすることでリーガルフィーを減らすことはできないからである。もし、外資系事務所で3年から5年の実務経験を積んだ弁護士を社内弁護士として採用しようと思ったら、それなりの給料を支払わないわけにはいかないだろう。人間らしい生活がしたいので、少しくらい給料が下がっても社内弁護士に転身したいという人はいても、給料が2分の13分の1になってもいいという人はまずいないだろう。

競争の時代なのだから、安くする事務所は幾らでもあるだろうという反論があるかもしれない。しかし、質のばらつきが広がれば広がるほど、安かろう悪かろうという推定が働く。安売りをしている事務所には軽々しく依頼できなくなる。
 
大企業は、ある程度思い切った給料を支払って、経験のある社内弁護士を雇い、さらには、ビジネスに長けた英米系事務所にかなりの額のリーガルフィーを支払わざるを得ないような時代がやってくるだろう。

弁護士が増えたのだからリーガルフィーが高くなるなんてことはありえない思うかもしれないが、掃いて捨てるほど弁護士がいるアメリカで時給が10万円を超える弁護士に依頼する大企業が多くいるのである。現にアメリカで法的問題が発生したときに、安さを売りにしている小さな事務所に依頼している日本の大企業があるだろうか。

弁護士を安く雇いたいという動機が垣間見る司法改革であったが、最終的には、大企業が支払うべき全体としてのリーガルフィーが格段にあがってしまうという皮肉な結果に終わるのではないかと予想する。