2012年10月31日水曜日

クライアント待遇の天国と地獄 - その1


アメリカの法律事務所にとってクライアントは平等ではない。アメリカ事務所はリーガルサービスを提供するというビジネスをやっているので、収益最優先である。自分たちのビジネスの利益につながるクライアントと利益につながらないクライアントがいれば、ビジネスの利益につながるクライアントを優先するのは当然である。
クライアントの扱いはある意味、飛行機のクラスに似ている。通常の飛行機にはファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラスとあり、さらには、頻繁に利用するお客さんには、ステータスのランクが与えられ、色々なポイントがある。例えば、キャンセル待ちやアップグレード待ちをしたとき、ステータスの高いお客様の望みがかなうようになっている。どんなに前からキャンセル待ちをしていても、後から来たステータスの高いお客様の希望を優先させる。「金払いが良くて、何度も利用してくださるお客様が大事ですから、エコノミークラスの料金しか払ってくれなくて、それも偶にしか乗ってくださらないお客さんは大事ではありません。」と口には出して言わないが、そう言っているのと同じである。

 法律事務所も同じである。当たり前のことかもしれないが、ファーストクラスの料金を支払い、つまり、金払いが良くて何度も利用してくれるお客さんが大事である。ファーストクラスに何度も乗ってくれるお客さんが何か依頼してくれば、事務所内の優秀な人材を投入して短期間に大きな仕事を完成させることも可能である。まさに、ファーストクラス待遇である。知名度があるクライアントも偉い。知名度が高い会社の仕事を受任できれば、「うちの事務所は、〇〇というクライアントの事件もやっています。」と宣伝することができる。だから、最初にお試しで乗るときは、エコノミークラスの料金でファーストクラスに乗せてしまうことすらある。無名の小さな会社から、一回こっきりの、たいして金にならない仕事を頼まれた場合には、飛行機に乗せることすら拒否する。つまり、理由をつけて受任しない。何とか飛行機の末席に乗せてもらっても、飲み物も食事のサービスもいつも後回しである。

日本の法律事務所でも特に弁護士が急増してそのような傾向はあるかもしれないが、まだまだである。日本の弁護士にはそのような傾向に対する罪悪感が残っているだろう。しかし、アメリカの弁護士はビジネスとして法律のプラクティスを行っているので、「ビジネス最優先で何がいけないんだ? えっ? 慈善事業をやっているわけじゃないんだぞ。」くらいに思っているようだ。事務所内でビジネス会議を頻繁に行ったり、売り上げベースでパートナーの力関係が決まってくる法律事務所の中にいると、ビジネス感覚が非常に薄くて人権保護意識の強い日本の弁護士の方々と話していて違和感を感じてしまうことすらある。
 

レベルの差こそあれ、日本でもその傾向は芽生え始めているのだから、アメリカ式の司法改革をこのまま続ければ、日本がアメリカのようになるのは時間の問題であろう。

 

このビジネス最優先主義の度が過ぎると許容範囲を超えるようなことまで行われる。

 

2012年10月23日火曜日

顧問弁護士制度


日本では、顧問弁護士という制度があって、企業は仕事が何もなかったとしても毎月顧問料として顧問弁護士に一定額の支払いをする。顧問料は企業の大きさによっても様々であるが、月額5万円から20万円といったところであろう。中小規模の法律事務所にとってこの顧問料は大きい。毎月決まって入ってくる固定収入なので、例えば、事務所の家賃、電話代、コピー機のリース料などの固定費が顧問料総額の範囲内で支払えると分かっていれば、経営がとても楽になる。

アメリカでは顧問料という制度は聞いたことがない。アメリカ人の弁護士何人かに聞いてみたが、やはり顧問料制度は一般的でないようだ。

日常の業務でちょっと聞いてみたいと思うような法律相談があった場合、日本では、顧問弁護士にちょっと電話で相談してみることが可能だ。ちょっとした相談であれば顧問料の範囲内で答えてもらうことができる。アメリカではどうしているのだろうか。ちょっとした法律相談は社内弁護士に相談しているようだ。たとえば、広告代理店に弁護士がいる理由を聞いてみると、広告の際に他人の商標や著作権を侵害があるか否かに関して絶えず法的な問題が発生するから社内に弁護士が必要だとのことであった。

大手企業にとってみれば、社内で弁護士を雇っているので、わざわざ外部の弁護士に顧問料など支払う必要はないと考えるのだろう。アメリカの法律事務所の費用はかなり高額なので、特にリーマンショック以降、社内弁護士を採用して外部の弁護士に依頼する割合を減らしている企業が多いようである。

大型事務所にとってみれば、たいした金額にならない月額の顧問料を支払うからといってそのクライアントと利害が対立する、つまりコンフリクトがあるクライアントの事件を一切受任できないとなると、顧問料を支払ってもらう不利益の方が大きいでのあろう。顧問料を支払うだけで仕事を回さない企業より、年間1億円分の仕事を依頼するクライアントの方が重要だろう。

2012年10月17日水曜日

超大手事務所も破産するアメリカ


アメリカでは大手事務所が潰れることも珍しくない。記憶に新しいのは、Dewey & LeBoeuf LLPという一時期1400人近くの弁護士が働いていた事務所が20125月に破産申立をしたというニュースである。20122月末頃からクライアントを多く抱えるパートナーが事務所を移籍し始めているという話がアメリカ法曹界でささやかれるようになった。その後事務所の資金繰りが悪化しているとのニュースが流れ、2012年の34月にはクライアントを持つパートナーが大量にクライアントと共に他の事務所に移籍し、あれよあれよという間に、クライアントのいないパートナーとパートナーに連れ出してもらえなかったアソシエイトとスタッフ、家賃等の固定費の支払債務などが残り、事務所は事実上崩壊した。

1400人も弁護士がいた事務所が破産するの?」と驚くかもしれないが、私がアメリカで弁護士になってから私の知人の勤めていた事務所が3つ崩壊した。訴訟の相手方を代理していた弁護士が所属する事務所が訴訟の途中でなくなったことすらある。全て少なくとも200人以上弁護士が所属していた事務所である。あの事務所は危ないと言われつつかろうじて生き残っている事務所も幾つか知っている。

巨大法律事務所が何故簡単につぶれてしまうのか分析することは難しい。Dewey & LeBoeuf LLPが危ないとささやかれてから事実上崩壊してしまうまでは2ヶ月半程度と本当に短かった。その間、他の事務所と合併しようとしたらしいが、合併の交渉が継続している最中にも優良なクライアントを多く持っているパートナー、つまり事務所への収益の大きいパートナーが、優良なクライアントと共に他の大手事務所に移籍してしまった。これでは合併の話もまとまらない。なぜなら、合併先の事務所が魅力に感じているのは、知名度の高いパートナーとそのパートナーが持つ優良なクライアントを獲得することだからである。

法律事務所はどれほど大規模化しても株式会社ではなく、パートナー制をとっているところが多い。つまり資産等を公開する必要がないのである。そこで、事務所内のパートナーですら、資金繰りが悪化していたということを最後の最後まで知らされないということも多い。

アメリカの大手法律事務所に行けば分かるが、外観が素晴らしく、「うちの事務所はクライアントもたくさんいて儲かっている事務所だから安心して御依頼ください」というスタイルである。資金繰りが悪くなりはじめても、オフィスの縮小、安いビルへの移転を拒む傾向にある。そんなことをすると、業績が悪化したとの噂がネット等に流れ、クライアントが離れる可能性もあるからだ。

資金繰りが悪化したということがパートナーに知れ渡ると、皆、沈みかかった船から飛び降りて他の船に乗ろうとする。しかし、他の船もこの不況時にそう簡単には新たな人間を乗せたがらない。大型の魚を沢山釣る能力のある人しか乗せないのである。つまり、優良なクライアントを多く持って乗り込んでくるパートナーのグループのみ歓迎するのである。

すると、クライアントを失った大手事務所がその看板と共に固定費の支払いという債務だけ背負って置き去りにされる。

2012年10月11日木曜日

サービスに対して対価を払う意識の違い


日本の弁護士業務がアメリカの弁護士業務と比較して拡大しない理由の一つとして、サービスに対して対価を支払う意識の違いがあるのではないかという気がする。アメリカ人はサービスに対して対価を支払うという意識がある。レストランでチップを支払うのは当然で、ウエイトレスのサービスがよければチップもはずむ。ヘアサロンでもチップを支払う。これに対して、日本では目に見えないサービスは全て無料である。レストランのサービスがよくて当然だし、それに対して特別の対価を支払う必要はないのである。

アメリカの航空会社の多くは航空料金を下げるからサービスをカットするという方針を採用している。アメリカ人は文句を言いながらも、ある程度納得している。サービスにお金を支払うという感覚があるからであろう。日本の航空会社の人が「アメリカの航空会社と同じことを日本の航空会社がやったら、お客様から大変なお叱りを受けます」と言っていた。大部分の日本人はサービスは無料という感覚を持っているのである。

リーガルサービスも目に見えないサービスの一つである。レポートなどとして目に見える形で手元に渡されることもあるが、特殊な分野によってはそのレポートを書くのに長時間の調査が要求されることもある。日本人には目の前にあるレポートに対して、レポートの量に応じて対価を支払うことには慣れているかもしれない。しかし、それを作成するための調査、ある意味リーガルサービスの部分がどれだけ長時間になろうとも、その部分に対して多額の対価を支払うという感覚が薄いのだと思う。

そこで、日本人にとって作成書類1枚につき幾らというような料金体系なら納得して費用を支払いやすいように感じる。まさに、昔の弁理士報酬の料金体系がそれである。技術がどれだけ高度でそれを理解するのに長時間を要する等は関係ない。

また、相手方から実際に幾らか金銭を取り返した場合にも金銭という目に見えるものが存在する。相手方に支払わせた金額の○○パーセントの報酬というのは、ある意味目に見えるものに対する報酬で、その支払いをさせるためにどれだけ手間がかかったか、つまりリーガルサービスを行ったかは関係ない。これは、昔弁護士会が規定していた報酬体系である。

費やした時間に弁護士ごとのレートをかけた額が報酬になるというサービスに対価を支払うような料金体系は非常にアメリカらしい。日本でも大手事務所ではアメリカ的な料金体系を採用しているようだが、日本のクライアントはどう受け止めているのだろうか。

2012年10月5日金曜日

パートナーのクライアント獲得合戦


ビリング・パートナーという言葉を聞いたことがあるかもしれない。依頼者が事件の依頼してきたとき、事務所内のパートナーの誰がビリング・アトーニーなのかという問題が発生する。ビリング・パートナーがその事件のBilling(ビリング)、つまり弁護士報酬請求に関して責任を負うパートナーである。

このように説明すると、「なんだ単なる事件ごとの責任者か」と思うかもしれないが、そんな単純なものではない。ビリング・アトーニーになると得られる利益も大きい。アソシエイトだと、報酬やボーナスの決定の際に自分が働いた時間しか考慮されない。これに対し、ビリング・アトーニーは、誰が働いたかに関わらず、自分がビリング・アトーニーになっている事件に関してクライアントが支払った弁護士費用の一定のパーセンテージが報酬としてもらえる。つまり、クライアントが事務所に1000万円支払ったとしよう。事務所との契約によって異なるが、例えば12パーセントもらえるとの約束があったとしよう。もし、クライアントが支払った1000万円について自分が全く働いていなかったとしても自動的に120万円の報酬がもらえるわけである。

しかし、人に仕事をやらせてばかりいると、実際に仕事をしている弁護士がクライアントと親しくなって、信頼関係が築かれ、実際に仕事をしている弁護士が他の事務所に移籍したとき、クライアントを持っていってしまう可能性もある。クライアントを持っていった弁護士は、新しい事務所で自分がビリング・アトーニーになれるだろう。

そんなことが起こってしまっては、報酬が減ってさらにはリストラされかねないので、ビリング・アトーニーはうかうかしていられない。クライアントをつなぎとめるためには、クライアントへのパフォーマンスが上手でなければならない。人にある程度事件を任せていようとも自分が事件の中心で、自分がいなければ正しい意思決定ができないというパフォーマンスが上手でなければならない。クライアントとの重要なコミュニケーションの中心はいつも自分でなければならない。

クライアントを持ち去るために事務所移籍までしないとしても、事務所内ではビリング・パートナーになるための戦いが、事務所内の政治的勢力争いとともに渦巻いている。政治的勢力争いの程度は事務所ごとに様々である。

事務所内の政治的な勢力争いに関する情報収集をせずにクライアント獲得争いに巻き込まれてしまうと、地雷を踏むことすらある。

アソシエイトはビリング・アトーニーになれないのでパートナーを探してビリング・アトーニーになってほしいと依頼しなければならないが、その際にクライアント獲得争いに巻き込まれて地雷を踏み、さらには事務所を辞めざるを得なくなったという弁護士の話を聞いたことがある。

2012年10月1日月曜日

アメリカは修習なしでどうしているのか?


アメリカでは日本のような修習制度はない。では、新人弁護士はどのように実務に必要な知識を得ているのだろうか。

もちろん、実務を通じて知識を得ているのは当然であるが、ある程度の規模の事務所であれば、事務所内で新人弁護士研修を行っている。新人研修の内容は、弁護士の担当分野によって異なるが、私は訴訟手続に関する新人弁護士研修に参加した。週に1度、ランチの時間に事務所が用意してくれるランチを食べながら新人研修を受ける。3枚程度の紙に書かれた具体的な事例をもとに訴状を書いてくる宿題が出され、次の週には訴訟の模範例が渡されて、その訴訟と3枚程度の紙に書かれた被告側の具体的な事例をもとに答弁書を書いてくる宿題が出され、その後も手続の流れに従ってディスカバリーのドキュメントリクエストを作成する宿題が出されたりと続いていく。確か4ヶ月くらい続いたと思う。しかし、日本の修習と比較すれば、本当に初歩的なものであった。実際の事例をもとにした詳細な証拠を検討できるわけでもないし、優秀な教官が起案された宿題を丁寧に採点してくれるわけでもなかった。

その時、日本で体験したあの2年間の修習がいかに素晴らしいものであったかを実感した。すべて血となり肉となり実務に役立った。アメリカで日本法と無関係な実務をやっていても、修習の時に学んだことが役に立っていると感じることがしばしばある。