2014年12月29日月曜日

弁護士業界だけが特別ではないはず

弁護士業界の不振が言われるようになってから、業界として大変なのは弁護士業界に過ぎず、どの業界も同じだという人がいるが、弁護士業界だけが特別でないとは、そのような意味でというわけではない。

弁護士に限らず、どの業界でも生き残るために要求されていることは同じであり、弁護士業界だけが特別ではないということである。

つまり、①業界の未来を見通す目と、②その見通しをもとに、過去の固定観念と過去の栄光や成功にしがみつかず、③見通した未来を迎えるためには何をすれば良いのか判断する判断力と④それを実行する実行力が必要である。
特に現在のように変化のテンポが速い時代には、過去はこのようにやってきたのでそのまま同じようにやり続ければよいという考えの人間は生き残れない。上記の①から④のどれかが欠けても生き残れないのだ。

バブル期に一世を風靡した日本企業が弱体化したのも、上記の①~④までの一つ以上の条件が欠けたためである可能性が高い。最近では、過去のディスプレイ事業の栄光にしがみついて亀山に大きな工場を建設して失敗したシャープなどは良い例なのではないかと思う。

弁護士業界もロースクールができて、最終的には毎年3000人が司法試験に合格するとの方針が決められた時点で、業界が大変なことになるとの見通しは、その当時に弁護士であれば誰でも分かっていたはずである。つまり、①の見通しはあったはずである。その見通しを頭の中でかき消そうとしていた弁護士もいたと思うが、心の奥底では分かっていたはずである。

ロースクールができた当時の弁護士にとって難しかったのは②と③であろう。あれだけ難しい司法試験を合格して、弁護士ということで皆から信頼を受け、ちやほやされた弁護士にとって、過去の固定観念と過去の栄光を捨て去るのはほとんどの弁護士にとって難しかったことは容易に想像できる。また、ビジネス感覚を磨いてこなかった日本の弁護士にとって、将来起こる可能性が非常に高い弁護士業界不況に備えて何をすればよいのか分からない人が多かったことも容易に想像できる。

ロースクールの募集が始まった後の最初の5年は、弁護士業界不況に備えるために与えられた猶予期間であり、この期間に過去の固定観念を捨て、将来に備えて思い切ったことを始めた弁護士と、目新しいことは何もせずに、ただただ予想される不況を待っていた弁護士との差がでてきているのではないかと思う。弁護士ドットコムを始めた弁護士などは、前者の例の代表のようなものであろう。

変化のテンポが速くなっている現代では、業界の将来を見通す目と、その見通しをもとに、過去の固定観念と過去の栄光をすてさり、将来に備えるために今までの常識にとらわれない対策をたてる能力、それを実行する実行力がなければ、どの業界でも生き残れないのである。弁護士業界に限ったことではないのだ。

コンピュータ化による効率化が進み、現在ある職業のかなりが将来的になくなると言われている現在、固定観念と過去の成功にしがみついている暇はないのである。

2014年12月24日水曜日

非難すべきは高額な弁護士会費なのでは

大手企業に勤めていた人が、リストラや出向で大手企業の肩書を失った時に、周りの人態度がガラッと変わってショックを受けることはよくある。

そんな時、弁護士という資格は他人から与えられた企業内の肩書と違って自分に付属しているものなので、弁護士会費を支払っている限り、他人から取り上げられることはない。「弁護士という資格はよいかもしれない」という考えが、頭をよぎることがある。

しかし、ここで何度も言っておくが、弁護士会費を支払っている限り、である。

ロースクールの学費は、2年または3年支払えばよいが、弁護士会費は、弁護士登録を続けたいと思うのであれば、一生払い続ける必要がある。年間60万円くらいの弁護士会費をたとえば、40年払い続けたらどうなるか。考えるだけでも恐ろしいが、2400万円である。

これだけのお金を支払って、弁護士という肩書を維持する必要があるのだろうか。

アメリカの弁護士資格の場合、登録の費用が非常に安い。ニューヨーク州は、2年間で375ドルを支払っているだけである。1年にすると、200ドルかからないのである。これなら、肩書だけとして持っておくためであっても問題ない。また、この肩書があれば、TOEICの点数を申告しなくても、英語はできるという証拠になる。それなら、費用対効果としても、悪くない。

最近円安ではあるが、日本の会費はニューヨーク州の20倍を超えている。

確かに、ロースクールは日本の実情に合っていない問題のある制度であるが、非難すべきはまず、高額な弁護士会費ではないかと思う。
弁護士会費は、新しい弁護士の新規参入を妨げているだけでなく、弁護士の自由な競争を妨げている。弁護士会費がアメリカ並みに安ければ、弁護士登録をする人も増えるし、いったん登録した人はそのまま登録を続けるだろう。登録を続ければ、誰かから頼まれて弁護士として法的アドバイスをすることもあるだろう。また、弁護士登録をしたままの者が、色々な分野に入っていくことになるだろう。弁護士会費をアメリカ並みにすることは、司法改革の理想を実現する近道となるのは明らかである。

今のままの高額な弁護士会費であれば、登録を続けなければ仕事ができない、誰かが登録費用を支払ってくれる、登録した方がしないよりも会費分を差し引いても収入が増えることが確実な人しか登録を続けないだろう。

弁護士会費を支払えないために廃業した人たちが集まって、職業選択の自由を侵害するとして訴訟を起こしてくれないかと思う。
強制加入は職業選択の自由を侵害しないとの判例があったとは思うが、弁護士の低収入が問題になっているなか、このような高額な弁護士会費を維持し続けることは、職業選択の自由を侵害していると言えないだろうか。

2014年12月20日土曜日

アメリカの司法試験科目に変化?

3年間のJDコースのロースクールを卒業して、この夏にニューヨーク州の司法試験を受験したアソシエイトが試験に落ちてしまったようで、クリスマスから無給休暇をとって来年2月の試験に備えることにしたと話していた。
JDコースを出ていて司法試験に不合格というのは少数派なので、彼が落胆しているのも無理はないが、落胆する理由はそれだけではないようだ。
全州共通の択一試験があるのだが、その試験科目に変化があり、今まで科目でなかった民事訴訟法が択一試験の科目に加わるようだ。

全州共通の択一試験は午前の3時間で100問、午後の3時間で100問、合計200問の問題を解く試験である。州によっては足切り点を設定しているところもあるが、約75パーセントくらい正解すれば、足切りされることはないといってよいだろう。
英語がネイティブでないと、3時間で100問解き終わること自体が難しい。

今までなかった科目が加わったので、どのような問題が出るかも分からないし、問題集なども充実したものはないだろう。7月の試験に不合格になった人がいつも以上に落胆するのも納得できる。

2014年12月9日火曜日

大手事務所から振り落とされる弁護士

過去にアメリカの超大手事務所で働いていた弁護士の話である。


ある都市に大手事務所のオフィスで、ある特定の分野の弁護士たちがグループとして働いていた。クライアントを多く持つ一人のパートナーの仕事を多くの弁護士が引き受けて仕事をするという形式であった。他にもパートナーはいたが、その一人のパートナーに比べると仕事の規模は小さかった。
ある時、そのクライアントを多く持つパートナーがそのグループのうちの一部の弁護士とともに、他の超大手事務所に移籍してしまった。残された弁護士は、仕事が少なくなる。誰かから仕事をもらうか、自分でクライアントを捕まえてきて仕事を作るかのどちらかが出来ない弁護士は、年間2000時間のビラブルアワー(クライアントにチャージできる時間)を達成できずに外に出される。プラクティス分野が特定されてしまう大手事務所の弁護士は、ある分野の弁護士があまっているからといって、他の分野のプラクティスをしているパートナーから仕事をもらうことは難しい。
そこで、ビラブルアワーを達成できずに、外に放り出される弁護士の話は結構聞く。


クライアントを多く持つパートナーが何故自分の仕事を担当する弁護士全員を連れて移籍しなかったかの理由は容易に想像できる。移籍先の事務所は、移籍先の弁護士に仕事を与えてくれるパートナーに来てもらいたいと思っているので、全員を連れて行かない方が良い条件を提示してもらえるからだ。そこで、自分の仕事の中心的な役割を果たしている弁護士や、自分が気を許せる弁護士のみを連れて行こうとする。パートナーの個人的な好き嫌いも影響するだろう。

色々な弁護士を見ているが、最初に大手事務所に就職できるかどうかは、ロースクールの知名度とロースクールでの成績で決まることが多いが、その後の人生は、「運」「世渡りの良さ」「営業力」に影響されることが多いようだ。優秀な人が残れるとは限らない。

リーガスサービスの提供をビジネスとして行っているアメリカの事務所では必然なのであろう。

2014年12月2日火曜日

マーケティングの意味


アメリカには、法律事務所用のマーケティング対策について書かれている本が、日本とは比べ物にならないほど多くある。最近はKindleで電子図書が簡単に購入できるだけでなく、ウエブサイトでサンプル送信をクリックすれば最初の20ページくらいがサンプルとして無料で読むことができる。

気分転換に法律事務所のマーケティングに関する電子図書のサンプルをランダムにいくつか読んでみると、John Burnettという人が書いたHow to Avoid Random Acts of Marketing: A Plan for Small to Midsized Legal Firmsという本にマーケティングの定義が書かれていた。
「Marketing is the process of finding, satisfying, and retaining profitable customers.」
当たり前のことかもしれないが、「profitable customers」なのである。見つけるのも、満足させるのも、受任するのも「儲けになる顧客を」なのである。このマーケティングの定義は筆者独自のものかもしれないが、この「profitable customers」の部分に疑問を投げかける弁護士はいないであろう。

つまり、日本で弁護士ももっとマーケティング努力をすべきだという人がいるが、それはある意味、「儲けになる顧客」だけを相手にし、「儲けにならない顧客」を切り捨てろということとイコールなのである。儲けの薄い顧客を相手にする場合は、一つ一つの事件の手間を省いて薄利多売を達成しなければならない。

弁護士にマーケティング努力を求める人々はこの意味を分かっているのであろうか。