2015年2月23日月曜日

「被害者が悪い」は、日本人の価値観❓

日本人は、相手を責める前に、自分が悪かったのではないかと、自問自答をする人が多い気がする。アメリカ人は、自分は悪くなくて人が悪いと主張する人が多いので、とても対照的に感じる。

日本人のこのような価値観はそれ自体悪いことではないが、「自分」の範囲が広がることによって許容しがたい価値観が真剣に議論され始める。たとえば、「自分」の範囲が「日本人」に拡大されたとき、危険なところに自ら出向いてISISに殺された日本人の方が悪いのではないのかという議論をする人が発生する。ISISに殺されたアメリカ人も何人もいるが、危険なところに行ったアメリカ人自身の責任だという議論をアメリカ人から聞いたことがない。

これは、このような極端な議論に限られない。たとえば、自分の親戚が詐欺にあった時に、「そんなことに騙される方が悪い」という発想に達する日本人は多い。また、レープにあった時に「そんな恰好をして外を歩くのが悪い」というのはよく耳にする。

これは、日本人が訴訟を利用したがらない理由の一つにもなるのではないか。たとえば、訴訟を提起した時に親戚から、訴訟を起こさなければならないような状態にしたお前が悪い、と責められるのを恐れて、訴訟を起こせないとか、被害者が悪いという世間の目を恐れてレープや詐欺の被害者が警察に申告するのを控える理由にもなるのではないか。

このような日本人の価値観を認識したり、日本の制度の違いを認識すればするほど、弁護士の数が増えても日本で訴訟が増えることはあり得ないと再認識する。


参照





2015年2月15日日曜日

弁護士が多すぎると逆に選べなくなる❓

アメリカで自分のプラクティス分野とは全く異なる弁護士を探す必要性が発生した。結局知人の紹介する弁護士をいくつかあたることになりそうだが、これをネットで探したらどうなるだろうかと考えてみた。ネットで検索すると、その分野の弁護士は星の数ほど広告を出している。この中から選ぶなんて絶対に不可能である。
弁護士の能力経験は千差万別であり、ネットなんかで選んでとんでもない弁護士を選んでしまったらどうしようかと、不安になっていただろう。

日本でも弁護士が増えてインターネットのホームページを持っている弁護士も多くなり、弁護士にアクセスしやすくなり選びやすくなったというが本当であろうか、と考えた。
インターネットなんて人を騙すのに最適の場所である。実態がない会社を実態があるように見せたり、お金を支払って口コミ情報を書き込んでもらったり、お金を支払えば、ネット上の悪い噂などについては、検索エンジンで検索が難しくなるようにできるらしい。インターネットの情報を信用してよいのだろうか。
ビジネスに関心のある弁護士であればあるほど、魅力的なホームページに仕上げているが、それが実態と合っているかどうかは不明である。

弁護士の質のバラツキがひどくなってきたと言われれば言われるほど、インターネットで弁護士を探して会いに行くなんて、怖くてできないという気持ちになる。

これをきっかけに、コスコ(日本ではコストコというらしい)の戦略についてCNBCで紹介していた番組を思い出した。コスコの戦略は、良いものをある程度数を絞って置いておくということなのだそうだ。つまり、たとえばマヨネーズであっても、実際の市場には多数の会社が多数の商品を出しているが、それをマヨネーズだけで20種類も店頭に並べておいたら、客は選べなくなるので購買欲が落ちるのだそうだ。そこで、店の方で選別して種類を制限しておくと、客は選べる、つまり購入するようになるというのである。子供の玩具について、その選別過程も紹介されていたが、検討に検討が重ねられ、社員は真剣に選別作業を行っていた。何百種類もある玩具から店頭に並べる数少ない種類を様々な基準により厳密に選んでいた。

昔の日本では、弁護士の選択作業について、コスコで社員がやっていた選択作業を、国がやっていたのではないか。司法試験委員が真剣に作り出した試験問題で受験者の数を絞った後、ご丁寧に口述試験まで行って再確認をした後に合格させ、さらには、2年間の司法修習で、実務と社会を教え込んだ後に、法曹として外に出していた。確かに一旦、法曹としてお墨付きを与えた後は、管理をしていないので、10年後とか20年後に質が保たれなくなっていく弁護士もいないわけではなかったが、少なくとも最初の段階では選別作業を十分に行っていた。

しかし、今、弁護士の選別作業は、選別するのにどうすれば良いのか全く知識のない一般市民に任されている。

本当にこれで市民の弁護士選びが楽になったのだろうか?