2014年1月26日日曜日

所属弁護士の数はあてにならない!?




アメリカ中小の事務所で最近みられる傾向は、ウエブサイト上は、ある程度の規模がある事務所に見えるけれども、実態は、日本人がウエブサイトを見て想像するような事務所とはかなり違うというものである。




ウエブサイトを見ると、例えば、50人の弁護士が、複数のオフィスに所属していて、30年の歴史がある立派な事務所に見えるとする。
しかし、実態は、例えば、こんなことだったりする。極小さなオフィスが、2,3箇所あって、ほとんどの弁護士は自分のオフィスを持たず、家からリモートで仕事をしている個人事務所の集まりであり、30年の歴史があるというのは、個人事務所のうちの一部の弁護士が30年前からプラクティスをしているというだけである。事務所の所属弁護士は基本的には個人事務所なので、同じ事務所に所属しているといっても、一緒に働くことはほとんどなく、一人でこなせないほどの仕事が来た場合には、他の弁護士に個別に仕事を頼むこともあるという程度である。


このような法律事務所側は、大きな事務所を借りる必要がないので、経費が削減でき、クライアントへの利益にもなると言っている。


ただ、このような形態の事務所に、一人や二人で処理できないようなタイプの仕事を依頼してしまうのは危険だと思う。また、同じオフィスの中で働いていれば、廊下ですれ違ったときに、他の弁護士にカジュアルに相談することもあるだろうが、リモートで仕事をしていれば、わざわざ他の弁護士に相談するほどでないだろうと、自分の判断だけに頼りがちだ。つまり、仕事の質は依頼した弁護士の腕一本にかかることになる。


ウエブサイトは、実態をごまかしたり、自分を大きく見せたりと、とても便利なツールであり、ビジネス上手な弁護士はこれをうまく利用している。


日本でも弁護士が増えてきた今、ビジネスに長けた弁護士がこんな商売を始めてはどうだろうか。
貸しオフィスのような法律事務所を設立するのである。含まれるサービスは、サーバーシステムと会議室の貸し出し、ウエブサイト上の名前の掲載、電話の転送、法律事務所名のついた名刺の作成である。家で働けるようにするためのネット環境整備のサービスもする。そのサービスの対価として、個々の弁護士は一定額の支払いをしなければならない。


案外需要が高いのではないか。





2014年1月16日木曜日

優秀な弁護士にめぐり合うのが難しいアメリカ

アメリカの弁護士には、自分のことを「優秀な弁護士である」とか、「自分の事務所には優秀な弁護士がたくさんいる (だから自分に事件を依頼しなさいという意味)」という人は非常に多いのだが、残念なことに、本当に優秀な弁護士にめぐり合うのは非常に難しい。
優秀だという弁護士に仕事を頼んでみたら、基本的なことを理解していなかったり、間違ったことを言ったりする弁護士であることが判明する、なんてことはよくある。

以前、クライアントに依頼されて、超大手法律事務所の弁護士とのミーティングにクライアントと共に出席したことがあるが、有名パートナーが基本的なことについて間違ったことを言うので強く指摘したら、その有名パートナーは、「あとで調べる」と言ってその場を逃れた。調べた後に間違ったことが判明したにもかかわらず、自分が間違えたというふうに解釈されないような形でクライアントに説明するのが非常に上手なのに驚いた。これがこの弁護士の才能で、陪審員を信頼させるテクニックなのかと。

今の日本の弁護士事情は変わってきているのかもしれないが、少なくとも10年くらい前までは日本の弁護士に対して、優秀だと感心することの方が多く、がっかりするようなことはあまりなかった。

アメリカではがっかりすることの方が多い。
「優秀なアメリカの弁護士に出会ったら、その弁護士は、もう離さない。その人に何度も依頼する」と言っていた日本の弁護士に会ったことがある。それだけ、アメリカで優秀な弁護士を探すのは大変ということだ。確かにアメリカには使えない弁護士は多い。もしかすると、日本の優秀な弁護士に慣れてしまって、弁護士というのだから優秀に違いないと、間違った期待をしているのかもしれない。

ただ、大手の事務所(弁護士500人超の事務所)に新卒で入ってくる弁護士は有名なロースクールを優秀な成績で卒業しているので、ある程度ふるいにかけられている。また、大手事務所の使えない弁護士は辞めさせられる。そこで、期待はずれな弁護士に遭遇するという危険は、小さい事務所に依頼するより低くなる(ただ、能力よりか要領がよいだけという弁護士が必ずいるので、確率の問題に過ぎない)。

大企業が、巨額の弁護士費用を支払っても大手事務所に依頼する理由が分かる気がする。

日本でも優秀層が法曹を目指さなくなったと言われるようになったが、アメリカのようになっていく日も近いのだろうか。



2014年1月8日水曜日

アメリカ弁護士が安売りしたがらないわけ

アメリカの中規模から大手事務所の弁護士はアワリーチャージで報酬を請求するのが一般的である。そのリーガルサービスを提供するのに費やした時間×(かける)弁護士のアワリーレート=(イコール)報酬請求額である。

つまり、アワリーレートとは、その弁護士の1時間あたりの単価である。
弁護士が500人を超える大手事務所だと、新人弁護士のアワリーレートは350ドルくらいから始まる。アソシエイトのアワリーレートは事務所が勝手に決めるのが普通である。本人の意思や能力とは関係ないところで、定期的に一定割合のアワリーレートの値上げが行われる。例えば、2年目は375ドル3年目は400ドルというような感じである。

カウンセルやパートナーになると弁護士本人の意向やクライアントの需要等で、アワリーレートを変えることもある。

ただ、アメリカの弁護士は、自分のアワリーレートを下げることに抵抗がある。弁護士というだけでは優秀ということにならないアメリカでは、アワリーレートの高さは、弁護士としての能力を示す指標と思っている弁護士が多いからだ。1時間1000ドル(1ドル100円でも10万円)をチャージしても依頼してくるクライアントがいるというのは、それだけ弁護士としての能力が高いということになる。逆にアワリーレートが低いということは、アワリーレートを低くしなければ依頼してくるクライアントがいない、能力の低い弁護士ということになる。「あいつがこれだけのアワリーレートを請求しているのに、自分のアワリーレートがそれよりも低いということは、自分はあいつよりも能力の低い弁護士ということなのか。クライアントもそういう目で見るかもしれない」と思うわけである。

なので、アワリーレートのディスカウントをする場合でも、「あなたの会社は年間1億円近い報酬を支払ってくれる大切なクライアントさんなので、あなたにだけ特別私のアワリーレートをディスカウントしますよ」という理由のあるディスカウントはしても、規模の小さい企業の小さな事件に関してはディスカウントをしないのである。

規模の小さい企業から、あまりお金にならない仕事でディスカウントしてほしいと頼まれた場合、大手事務所は上手に依頼を断るだけだろう。

安売りしなくても商売が成り立つためには、弁護士に質のばらつきと、経験のばらつきがあることが前提となる。

日本でも弁護士というだけでは優秀ということにはならなくなってきた。アワリーレートの高さは弁護士の能力の指標であるという時代が来るかもしれない。




2014年1月3日金曜日

法廷ドラマはどこでも間違いだらけ

アメリカの法廷ドラマや映画で、弁護士が証人を尋問する際、証人の周りをうろうろと歩き回り、威嚇的に質問を重ねるのを見ることがあるだろう。実際の裁判で弁護士がそうやっていると思ったら、大間違いである。

弁護士は必要がない限り、証人に近寄っていはいけない。証人に証拠を提示したり、例えば、「書類の7ページの3行目を見てください」と証人に必要箇所を説明する時など、必要がある場合は、裁判官の許可を得て、証人に近寄ることができる。許可も得ずに勝手に証人に近づいたら、裁判官に注意を受ける。証人が萎縮して話せなくなるのを防ぐためである。

アメリカの法廷では、証人席は傍聴席の方を向くかたちで設置されている。陪審員にも応答の様子が見えるようにするためである。事実を判断するのは基本的に陪審員だからである。

これに対して、日本の証人席は裁判官の方を向くかたちで、つまり、傍聴席に背を向けて設置されている。事実を判断するのは裁判官だからである。
しかし、アメリカ映画の影響で、日本のドラマでも傍聴席の方を向いて証人席が設置されていることがある。

日本でもアメリカと同じで、弁護士が必要もないのに証人のまわりをうろうろしながら尋問をすることは許されていないが、これも、ドラマによっては間違った設定がなされている。

法廷ドラマはいつも間違いが多いが、ドラマ的に視聴者受けすることを考えるとそうならざるを得ないのだろうか。