2013年12月26日木曜日

アメリカのロースクールに進学する危険性

アメリカのロースクールの3年間のJDコースに進学するかどうか迷っている人は、増えてきているかもしれない。進路に関して、ロースクールのオープンスクールなどに参加して、ロースクール関係者に話しを聞くかもしれない。

ここで気をつけなければならないのは、彼らの話を鵜呑みにしていけないということだ。
彼らは車のセールスマンと同じである。売りたいと思っている車の欠点など話してくれるわけはない。

とりあえず、願書だけでも出してっと甘い言葉でささやく。願書を出すのも手伝ってくれるかも知れない。「おめでとうございます。あなたの入学は許可されました」っと電話をかけてきてくれるかもしれない。さらには、「あなたには特別5000ドルの奨学金が与えられることになりました。」っと持ち上げてくれるかもしれない。実際には入学者の半分以上が同じような奨学金を受けているということもある。

もし入学を許可したロースクールが全米のランキングで上位10パーセントくらいに入っていなかったら、1年留学を遅らせて上位のロースクールに再度チャレンジすべきである。もし、1年遅らせても上位のロースクールから入学許可をもらえなかったら、アメリカのロースクールでJDを取得するという夢は諦めるほうが良いかもしれない。

上位50位以内に入っていないロースクールについては考慮しない方がよい。100位に入っていないロースクールは問題外である。

下位校になればなるほど、あの手この手で、営業をかけてくる可能性がある。通常の日本人は1年のLL.M.コースの卒業者ばかりで、3年のJDを持っている人は少ないから、下位のロースクールであっても日本人がJD学位を取得したというだけで就職の需要があるだろうという思い込みは非常に危険である。

既にクライアントになりそうな日本企業とのコネクションが十分にあるか、決まっている職場があって、必要なのはアメリカの弁護士資格だけという人でない限り、上位とは言えないロースクールに入学すべきでない。3年間かけて1000万円を超える学費を支払っても、それに見合うだけの就職口は見つからず、単なる自己満足になる危険性が高いということを忘れないで欲しい。

下位のロースクールでJDを取得してもアメリカの法律事務所に就職することはほとんど不可能である。目を見張るような過去の職歴がない限り、履歴書を送っても面接にすら呼ばれない。
では、日本の大企業に就職しようと思うかもれない。しかし、運よく日本企業に就職できたとしても、アメリカのロースクールで1000万円以上の学費を支払った分を取り返せるだけの給料を支払う企業はないだろう。

早くアメリカに留学したいと焦るばかりに下位のロースクールのJDコースに行くことは、自殺行為といえる。

2013年12月12日木曜日

弁護士の数が増えると弁護士費用が安くなるの大間違い

アップルとサムソンの米国特許争いはアメリカ法曹の間でも話題になっているが、この争いにかかっている弁護士費用を見れば、弁護士数が増えても弁護士費用が安くならないことの証拠になるだろう。

アップルはサムソンに対して、既に費やした弁護士費用のうち、15.7億円(1ドル100円で換算)の支払いを求める申し立てをしたというニュースが出ている。
http://appleinsider.com/articles/13/12/06/apple-spent-60-million-on-samsung-suit-attempts-to-recoup-157-million

この16億円近い請求額に驚くが、これは、アップルがこの紛争に費やした弁護士費用の一部分に過ぎないのである。

さらに、アップルは特許紛争以外にも弁護士費用を費やしているだろうから、リーガルに費やす費用はいったいいくらになっているのか想像を絶する。

他のプラクティス分野でも、弁護士が増えても有名な弁護士の弁護士費用が下がることは一向にない。
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MXMKLX6K50XX01.html
1時間10万円以上の報酬を要求する弁護士に何時間も働いてもらおうとする企業があるのだ。

費用が高くても有名で経験のある弁護士に依頼するのは、弁護士数が多いために、弁護士の能力の保証がなく、経験不足の弁護士が数多くいるため、有名で経験が豊富とされる一部の弁護士に事件が集中するからだと考える。
一部の弁護士に依頼が集中することで、さらに経験豊富な弁護士の数が減るという悪循環を繰り返している。

また、弁護士の人数が多いために専門化が進み、特に大手事務所の有名弁護士を含む弁護士は専門以外の分野については経験もなければ知識もない。そこで、大中企業は分野ごとに違う弁護士を雇わざるを得ず、さらに弁護士費用が増している。

アメリカでは弁護士の資格は持っているが、弁護士としての実務経験がないため弁護士としての業務を行っていない人が数多くいる。ロースクールを卒業してから弁護士業以外しか行ったことのない者は、大抵の場合、事実上弁護士として働くことができなくなる。ただ、日本と違って弁護士登録費用が安いので、そのまま弁護士として登録しているままになっている人も多い。

アメリカのロースクールはある意味、弁護士という資格を持っているが、弁護士としての実務はできない人を大量に生み出している制度なのである。それも影響してか、弁護士費用が一向に下がらない。


弁護士報酬の二極化

2013年12月5日木曜日

見方を間違うと全く参考にならない米国法律事務所への就職体験記

このブログにたどり着く方の中には、アメリカで米国法律事務所に就職を考えている方も多いようだ。「アメリカ 弁護士 就職」などというキーワードで検索すると、他の就職体験記などとともに、このブログもリストアップされるようである。

そのような方のために就職体験記を読む際の注意点を記載しておこう。

就職体験記は、いつの時期の就職活動の話しをしているのかによって全く参考にならないことがある。

2000年以前の就職体験記は現時点ではほとんど参考にならないと言っても過言でないだろう。リーマンショック以前の就職体験記もそれほど参考にならない。2000年以前は日本語を話す弁護士の需要が結構あったが、今はそのような求人はパラリーガルか、ドキュメントレビューをする短期契約弁護士くらいしかない。

また、就職体験記を記載した人のバックグラウンドも重要である。日本の大手企業の法務部や知財部などで働いていた経験がある人が書いた就職体験記は、就職した経験のない人にはほとんど役に立たない。

例えば、MBAを取得しているとか、理系のバックグラウンドがあるとか、キャリア組みの国家公務員だったという経歴がある人が書いている場合、似たような経歴がない人にはあまり役に立たない。

アメリカの法律事務所に就職したいと思っている日本人には酷な話であるが、現実なのでお話ししておこう。
もし、アメリカの普通のロースクールを普通の成績で卒業した日本人が、目を引くような過去の職歴もないまま、大手事務所上から順番に100番までの事務所にカバーレターとともに履歴書を送ったとしよう。ほぼ間違いなく、全て100の事務所から断りのメールが届くか、無視されるかである。

人間は自分に都合の悪いことに目をつぶる傾向があるので、うまくいった就職体験記だけを読んで、自分もアメリカの弁護士として就職できると誤解するかもしれない。

しかし現実は非常に厳しい。トップのロースクールを優秀な成績で卒業したアメリカ人と台頭に戦える能力があるか、特殊なバックグラウンドがあるか、特殊なコネがあるか、人並みはずれて運がよいか、でない限り、アメリカで弁護士として就職することは非常に難しい。また、就職先の事務所にビザをサポートしてもらって働くとなると、さらに困難を伴う。

日本企業に就職することを考えて、ロースクールの1年のLL.M.コースを卒業して米国弁護士になるなら理解できる投資であるが、アメリカの法律事務所に就職したいと思っている場合は、ロースクールに投資することは大きなギャンブルといえる。

ネットで見た就職体験記を自分の都合の良いように解釈して安易に1500万円のJDの学費と3年間の時間を費やして卒業後の確かなプランもないまま留学するのは危険である。

2013年11月26日火曜日

予備試験早期合格者の方が弁護士には向いているのでは?


アメリカ法曹事情からずれる内容であるが、もう一言だけ予備試験について述べておきたいことがある。


弁護士としての経験に基づく個人的な感想であるが、予備試験に早期合格するような人の方が弁護士という職業には向いているのではないかと感じる。


離婚、過払い返還、個人破産などのルーティン的な事件を薄利多売で引き受けるという弁護士になろうというのであれば話は別であるが、例えば、海外進出なども念頭において新しい業務進出を考えている企業の企業法務をも手がける弁護士になりたいと思っている場合は、絶えず直面する新しい未知の問題等を自分の力で解決する精神と能力が要求される。短時間で問題点を把握し、必要な情報収集をし、その問題解決のための最適の手段を考え出し、解決に向って全力を尽くせる精神と能力である。他人に頼ろうとか、人に教えてもらおうとか、一度やったことがある仕事しかこなせないと考える傾向の強い人間には向かない仕事である。
 

法科大学院の本来の目的は法曹になるために大学院の教授が懇切丁寧に学生を指導して司法試験合格への道を切り開く教育機関のはずである。極端にいえば、大学院の教授や同級生と共同で一緒に頑張って合格しようという精神の持ち主の方が、予備試験を受験しないで法科大学院に進学しようと思うのではないだろうか。
 

予備試験という安価で就職にも有利な強力な手段があるのにも関わらず、法科大学院という団体に所属することに安心感を求めるというのでは、弁護士になってもその先に苦難が待っていると思う。他人に頼ろうとか人に教えてもらおうと考えるのではなく、目の前にある問題を短時間で自分で解決する意欲と能力がなければ、晴れて弁護士になったとしても、同じような業務処理を薄利多売でこなす弁護士にしかなれない。
 

以前、「新人弁護士の育成は自己の利益にならない?」で記載したが、先輩弁護士から手取り足取り仕事を教えてもらえる時代は終わりつつある。自分でかじりついて研鑽しなければ、経験もつめないし、進歩もできない。
 

予備試験という安価で就職にも有利な強力な手段を使って、短期間に司法試験に合格し、自らの道は自ら切り開くような心意気と能力がなければ弁護士になってから生き残っていけないのではないかと思うのである。





2013年11月19日火曜日

アメリカ式履歴書が物語る日米の働き方の違い

アメリカで初めて就職活動をしたときは、アメリカ形式の履歴書に面食らった。しかし、今では、アメリカ形式の履歴書の方が優れているし、合理的だと思っている。
逆に、雇用するか決定する上での重要な情報が完全に抜け落ちている日本の履歴書は役に立たないとすら感じている。

アメリカの履歴書には、写真の添付と生年月日の記載がない。日本のように「40歳くらいまで」と募集要項に年齢を記載することは禁止されるので、生年月日を書かないのである。
また、名前からでは人種も分からないし、名前によっては性別が分からないこともある。

ただ、面接に呼ぶかどうか判断するために重要な内容は十分に記載されている。
以前の職場でどのような業務を行っていたかが的確に記載されている。また業務に関して、自分が講師をしたセミナーの記載、出版物や発表した論文などが記載されている。

アメリカはat willで雇われている場合、いつでも自由に解雇される可能性がある。また、同じ職場で同じ仕事を続けた場合に出世する可能性は比較的少ない。例えば、会社内部の人が出世してマネージャーになるとは限らない。外部から経験豊富な人をマネージャーとして新たに雇い入れることも多いのである。したがって、働きながらビジネススクールを卒業したり、今の職場で習得した技能をもとに再就職して今より高いポジションを得ようとする人は多い。

このため、向上心のあるアメリカ人は定期的に履歴書をアップデートしている。
というよりか、アップデートできるように日ごろから職場内と職場外で自己研鑽をする。

例えば、オフィスで分担する仕事についても、履歴書に書けば有利になる仕事、つまり転職先を見つけやすくなる仕事を担当しようとする。そして担当した仕事を履歴書に書き加える。弁護士であれば、履歴書の職歴欄で実際にこなした業務として「ドキュメントレビュー、日本のクライアントとのコニュニケーション」と記載してある履歴書と、「デポジションで証人に尋問、サマリージャッジメント申立書の起案」と記載されている履歴書とでは、雲泥の差である。前者は、パラリーガルのようなことをやっている弁護士という印象を与え、後者は弁護士としての仕事をしている弁護士という印象が伝わる。当然、後者の弁護士の方が面接に呼ばれる可能性が高くなるだろう*。

アメリカ式の履歴書は、自分の雇用市場での価値を常に考えることにつながる。

日本の履歴書は基本的に転職することを念頭においていない。たとえ転職するとしても、どこの大学を卒業したか、どこの会社で働いてたかという形式的なことが重要な判断材料となる。しかし、それらはあまり役に立つような内容でない。

一定の技能を持った人を雇い入れたいという場合には、国家資格試験を基準に判断するしかない。それが原因なのか日本にはやたらたくさんの国家資格があるような気がする。


日米の履歴書の違いは日米の働き方の違いに反映されている気がする。




*(注)ある程度経験年数のある弁護士が他の法律事務所に転職する場合は、クライアントをどの程度持っているかの方が重要である。

2013年11月13日水曜日

法曹界も国際競争しているという認識が必要では? ― 予備試験受験資格制限が及ぼす悪影響


最近、日本の法科大学院が空洞化し、受験生が激減し、司法試験受験資格を授与する予備試験の人気が高まり、さらに法科大学院の人気が落ちているという話しを聞く。そこで、一部には予備試験の受験資格に制限を加えて、若くて優秀な大学生や大学院生の受験を阻もうとしているようだという話もあるようだ。

予備試験に受験制限を加えて大学生や大学院生に受験させないようにすれば、完全に司法試験から優秀な人材を遠ざけることになる。

法科大学院の学費と、貸与制、その先の就職難、高額な弁護士会費と、弁護士志望者にとって四重苦の時代に、なぜ救世主の予備試験に受験制限を課すのか。この制限によって法科大学院の学費と2年~3年間という貴重な時間を節約できないとなれば、大きな打撃である。また、優秀な人材は困難とされる資格試験にチャレンジする精神がある。予備試験がチャレンジに値するエリートコースとみなされなくなれば、つまり、受験資格制限がなされれば、チャレンジしたいと思う優秀なエリートから見ても日本の法曹資格は魅力のないものとなる。

では、その優秀な人材は何処に向うのか。

優秀な人材を遠ざけることが、どんな結果を招くか、もっと大きな視野から考える必要がある。

もともと国際取引などにも興味を持っていた法曹志望者たちは、大企業に就職しても機会があれば、アメリカのロースクールに留学するなどしてアメリカの法曹資格を取得する可能性は高いだろう。

以前は日本の司法試験に合格しなかった者がアメリカの資格を取っていると揶揄されたこともあったが、そんな時代はもう終わった。法科大学院に行くのは就職が失敗した者の逃げ道だと言う人すらいる今の時代に、日本の法曹資格なしにアメリカの法曹資格を取得するのを躊躇する者はいないだろう。

そのようにして、日本の法曹資格はないが、アメリカの法曹資格を持つものが、日本の企業内に増えていくことになる。

すると、どのような影響がでるだろう。

やはり、人間は自分が良く分かっている法律で仕事をしようとする傾向にある。企業内にアメリカ弁護士資格を持つ者が増えれば、アメリカの法律を日々の業務に持ち込みがちになる。例えば、企業内でアメリカ流の契約書を使う傾向が高まっている気がする。また、法改正をする際に、アメリカ法を参考とする法改正がますます増えるだろう。

このようにして日本法がますますアメリカ法に似通った法に改正されていく。それにより、米国の弁護士資格を持った者の活躍の場が広がることになるだろう。

また、日本の法曹への優秀な人材の枯渇は、日本の大手事務所の人材不足に直結する。そうなれば、大企業が英米系の法律事務所に依頼する傾向が高まる可能性もある。

こうして、日本の資格を持つ日本の法曹界自体が国際競争、特に米国との国際競争に敗れ衰退していくことになるかもしれない。

既にその傾向は始まっているのではないかと危惧している。


アメリカは日本から見ると1つの国であるが、実際は50の州があり、各州異なる法を持つ。連邦政府の権限はかなり制限されており、各州は、軍隊や外交権こそ有してはいないが、通常の国家に近い権限を持つ。また、ほとんどの州が陸続きであり、全州で英語が通用するのであるから、一つの州が、企業にとっても非常に不利な法律や税制度を採用したら、その州にいる企業は他の州に逃げていくことが可能である。逆に地理的な立地があまりよくない州や弱小の州は、企業にとって他の州より魅力的な法制度を整備することで、企業を誘致する。デラウェア州で設立された会社が非常に多くなったりするわけである。つまり、今のようなグローバル化が訪れる以前から、アメリカでは州同士で切磋琢磨していたわけである。そこで、法制度がグローバル化に与える影響についても熟知している。

これに対して、日本は、島国であり、今まで特殊な日本文化と日本語に守られていた。そこで、「グローバル化で外国と競争しなければならない」と口では言っていても、それが実際にどのようなことなのか実感としては分かっていない人が多い。


予備試験受験資格制限議論を含む現在の司法改革が、日本の法律事務所を英米系事務所との競争から撤退させるかもしれない、とか、アメリカ流の法制度の拡大につながるとか大きな視野を持って考え直してはどうか。

2013年11月1日金曜日

弁護士の使命は人権擁護 - のはずがない!?


日本では、「弁護士の使命と役割は人権擁護である」というのは皆が口をそろえて言うことである。もし、日本の弁護士がその感覚のままでアメリカの法律事務所で働いたら、カルチャーショックを感じることは間違いない。

確かにアメリカでも人権活動をする弁護士がいないわけではないが、それは極少数に限られる。基本的に、弁護士は法的サービスを提供すること報酬を得る職業であり、法律事務所はそれによって収益を上げる法人である。

「いやいや、アメリカは大手事務所でもプロボノ活動をして金銭的に余裕のない人の法律問題を解決したりしているじゃないか」という人がいるかもしれない。

以前、同僚が「裁判所に行って来た」というので、何の事件なのか聞いてみたら、「プロボノだよ。〇〇弁護士が、もっと法廷に行って、法廷での対応を経験して場慣れした方がいいから、プロボノ事件を受けて練習しろって言うんだよ。」

そうなのである。プロボノ事件は対内的には、クライアントさんの事件で失敗されては困るので、将来の本番に備えるための練習の場である。対外的には、営利ばかりをむさぼっているわけではなく、プロボノ事件も引き受けて社会のお役に立っていますと、良いイメージを発信するためのアピールの手段である。

若手弁護士にしてみれば、プロボノは、例えば、ヘアサロンのカットモデルの髪をカットするのと同じ感覚なのかもしれない。「練習中なので上手にカットできないかもしれませんが、我慢してください。あなただってサービスの対価をきっちりと支払っていないのだから。」また、プロボノ事件で費やした時間のうち一定時間はCLEクレジットの単位として認められる州も多いので、小規模の事務所の弁護士にとっては、外部主催のCLEクレジットの講座をお金を支払って受講するよりプロボノでも引き受けるか、ということになる。


日本でも、法科大学院制度が開始され約10年となる。法科大学院に高額の学費を支払い*、さらには、無給で修習をしなければ、弁護士になれない。加えて弁護士の人数増加により競争は激化し、日々の生活もままならない弁護士もいると聞く。また、一般のサラリーマンと変わらないかたちで企業で働いている弁護士も増えてきた。すると、本当に弁護士の使命は本当に人権擁護なのか、その根拠は何なのか、弁護士は単に法的サービスを提供することで報酬を得るサービス業者、あるいは、単に法的知識が豊富な一社会人に過ぎないのではないか、と考える弁護士も多くなってきたのではないだろうか。

「弁護士の使命と役割は人権擁護である」から人権活動を行うために資金が必要との名目で高額な会費を請求する弁護士会に対する不満を抱いている弁護士は増えてきたようだ。一つ前の投稿である「 弁護士会の矛盾と国際化からの立ち遅れ  日本の弁護士になることを勧められないもう一つの理」のアクセス数が異様に多かったことがそれを物語っているような気がする。


*予備試験を合格すれば法科大学院を卒業する必要はない。

2013年10月18日金曜日

弁護士会の矛盾と国際化からの立ち遅れ ― 日本の弁護士になることを勧められないもう一つの理由



今まで弁護士が入ってこなかった分野でも弁護士の資格を持った人が活躍して欲しいと願っている人は司法改革賛成派、反対派を問わず多いような気がする。しかし、この考え方が今の弁護士会の制度と大きく乖離するのではないか。

今まで弁護士が入ってこなかった分野というのは、そもそも弁護士資格、つまり弁護士登録がなくても業務を行うことができた分野がほとんどである。例えば、有資格者が国際機関、企業内、海外で働くとか、公務員として働くためには、弁護士登録は必須ではない。

日本で弁護士登録をすれば、強制加入である弁護士会に所属し、年間60万円から100万円支払わなければならないが、登録しなくても同じ業務を続けることは法律上問題がない。

すると頭の中で登録を続けた場合の負担を計算してしまう。

所属弁護士会によっても違うが、「10年で、600万円から1000万円支払うのか」と。

一方、登録を続けた場合の利益も考えてみる。弁護士であることを名刺に記載して信用を得たり営業を促進するといった効果があるかもしれない。しかし、日本の弁護士の地位が低下している現在においては、国際機関や企業の名前、その組織の中でのポジションや肩書の方が、日本の弁護士という資格よりも信用が得られるかもしれない。

「登録し続ける負担は非常に重く明確であるが、その負担から得られる利益についてははっきりしない」となれば、登録を抹消する人が増えてくるのは当たり前である。それは、収入が十分あって弁護士会費を支払える人であってもである。登録を抹消する人は弁護士会費を支払えないからだと結論付けるのは端的過ぎる。合理的な経済人であれば、負担と利益を天秤にかけて物事を考えるだろう。余談ではあるが、給料が他の事務所より比較的高い四大大手事務所ですら、留学中や出向中を理由に弁護士登録を抹消している弁護士がいることをホームページに記載しているくらいである。

つまり、今まで弁護士が入ってこなかった分野で弁護士の資格を持った人が活躍することになっても、今のままの弁護士会の仕組みであれば、有資格者ではありながら弁護士登録をしていない者を増やすだけである。

弁護士会には他にも問題点がある。それは、日弁連と単位弁護士会の両方に所属することを強制されているという点である。どの単位弁護士会に所属するかは、その弁護士が所属する事務所の所在地によって決まる(東京の場合は3会あるので、所在地だけでは決まらない)。

しかし、例えば、日本の事務所と関係なく海外で働く日本の弁護士はどうすればよいのか。

日本の住所を登録に使えない者は、弁護士登録ができないのである。登録した事務所の住所はインターネットで公開されるので、日本にいる親戚の住所を使わせてもらうというわけにもいかないだろう。あとは、単位弁護士会費が高くない地域に所在している事務所の弁護士にお願いして名前を置かしてもらうくらいだろう。*

恐ろしいことに、日本の弁護士会は、日本の法律事務所や日本企業に所属することなく海外で活躍する弁護士を想定していない。そのような弁護士は登録を抹消せざるを得ないということだろうか。

最終的には「将来登録を抹消する可能性が高いのに、なぜそもそも弁護士資格を得ようとするのだろうか」という疑問に突き当たる。

これからは国際化から全く立ち遅れている弁護士会の体制も法曹資格不人気の重要な要素となっていくだろう。

弁護士会費の問題に戻るが、海外の法律事務所との競争も視野に入れなければならない国際化の時代に、弁護士会費の高さが、国際競争の足かせともなりかねない。例えば、400人弁護士がいる事務所であれば、単純計算すると年間2億4000万円から4億円の余計な経費(弁護士会費)がかかってしまう。

弁護士をめぐる制度はめまぐるしく変わっているが、日本の弁護士会は古いままである。時代の流れから完全に取り残されている。


*名前を置かせてもらう事務所には弁護士会から不必要な雑誌等が大量に届くので、大変迷惑をかけることになる。これだけ技術が進んでいるのに、何故電子化してメールで送信しないのかと頭を悩ませるばかりである。


2013年10月9日水曜日

新人弁護士育成は自己の利益にならない?


アメリカの弁護士になって最初に日本の事務所との大きな違いとして感じたことは、個々の弁護士は新人を育成するという考え方がなく、仕事を覚えたかったら、自分からかじりついていくしか方法がないということだ。

大手の事務所は事務所として新人育成のプログラムを用意しているが、個々のパートナー弁護士からすれば、新人を使うかどうかは、自分にとって使い勝手が良いかという観点で決めている。新人を育成するために手取り足取り教えようという気持ちはない。能力があっても自分の思うように動かない弁護士や、自分とクライアントとの関係を脅かすほどクライアントに積極的にコンタクトしようとする弁護士は、使い勝手が悪いのである。

パートナーにとって使い勝手の悪い新人弁護士は仕事を与えられなくなり、事務所が課すビラブルアワーの目標が達成できなくなり、やめざるを得なくなる。


一般論として、自由競争が活発で転職が簡単な社会では、経験者が新人を育成しようという動機が薄れる。
逆に極端な自由競争がなく、転職が容易でない終身雇用に近い社会では、経験者が新人を将来組織のために有力な人材となるように育てようとする。

アメリカの法律事務所は事務所同士の競争、事務所内の弁護士同士の競争も激しいので、個々の弁護士に新人を教育している余裕はない。また、弁護士の転職は日常的なので、仕事が忙しければ、経験弁護士を募集すればよいし、新人弁護士を育成しても、貴重な実務経験を積んだ新人はもっと条件の良い事務所に転職していくだけである。教育したパートナー弁護士の利益にはならない。

このように、個々の弁護士が新人育成をしない結果、法律事務所に勤めていても、十分な実務経験を積んでいない弁護士が発生する。

例えば、訴訟のディスカバリーの際にドキュメントレビューをする弁護士が必要になるが、それは、アワリーレートの安い新人に任されることが多い。これは、あまり頭を使わずに、時間を多く使うので、弁護士の時間のノルマを達成するには、楽である。しかし、楽な仕事でノルマの時間を達成しやすいからといって事務所内で積極的にドキュメントレビューばかりをしていると後で大変なことになる。ドキュメントレビューはアワリーレートの低い弁護士にしかやらせることができないが、アワリーレートは事務所側が毎年勝手に値上げしていく。つまり、5年6年経つと、弁護士としての能力に関わらず、1時間450ドルとか500ドルなどという、かなり高額なアワリーレートになる。その高額なレートではドキュメントレビューの仕事には向かなくなるが、積極的に実務経験を積もうとしてこなかった弁護士は他の仕事の経験がない。ドキュメントレビューをやらせるわけにはいかないが、それ以外の仕事は経験不足でやらせられない。つまり、仕事がまわされなくなる。


今まで人数が少なく一人一人大切に育てられてきた日本の新人弁護士。これからアメリカ型になることは避けられないであろう。どうやったら仕事を覚えられるか工夫し、能力豊富でクライアントを多く持つ弁護士との人間関係を上手に保ち、自分からかじりついて仕事を覚えるしかない時代が来ている。


2013年9月30日月曜日

アメリカの法律事務所内ポリティクス

アメリカの弁護士事務所の規模はなんといっても大きい。100人弁護士がいても、大規模事務所ではない。大手事務所は最低でも500人、超大手になれば3000人弁護士が所属している。

弁護士は、自己主張が強く、目立ちたがり屋も多い。特に大手事務所の訴訟弁護士は、自分がリードカウンセルとして訴訟をやりたいと考えている。アメリカでは目立つことがクライアント獲得に必要である。有名な弁護士になることでアワリーレートも高くなる。

アメリカの弁護士は、同じ事務所内の弁護士どうしでクライアント獲得合戦をしている。何百人もの同じ事務所の弁護士たちが、自分の利益を第1に考えている。自分がエクイティーパートナーでないかぎり、事務所としての利益より、自分自身の利益が優先である。他の弁護士のクライアントを奪っても自分の利益を最大にしたい。自分のクライアントと利害が対立するケースを持つ他の弁護士を事務所から辞めさせてもいいから自分の利益を最大にしたい。

大きな事務所の中は多くの弁護士のこのような自己中心的な思惑で満ちている。
事務所内の弁護士の思惑や権力争いなどの問題をまとめて事務所ポリティクスと呼ぶことが多い。

日本人から見ると表面的には仲良くやっているように見える弁護士同士であるが、心の中では何を思っているか分からない。日本のように弁護士同士が夜飲みにいったりすることがほとんどないので、酔わせて本音を吐かせることも難しい。

事務所内で生き残っていくためには、事務所内の弁護士のドロドロした勢力争いとクライアント獲得争いに下手に巻き込まれないようにスイスイと泳ぎ抜き、事務所内での自分の立場を確立していく事が必要になる。それができない弁護士は最終的に事務所をさらなければならない。
まずは優良なクライアントの持つパートナーから仕事の下請けを頼まれるように努力することで、事務所で要求される年間のビラブルアワーを達成できることが重要である。しかし、そればかりではなく、最終的には自分のクライアントを獲得しなければならない。自分の知人が自分のクライアントになろうとした時に、パートナーに取り上げられられないようにしながら、そのクライアントとの関係を築いていけるようしなければならない。
パートナーになるためには、自分の経済的利益とプライドを満足させようとする弁護士達の思惑を分かった上で、魚雷にぶつかったり、地雷を踏んづけたりしないよう、上手に泳ぎ抜きながらクライアントとの信頼関係を築く必要がある。

これらの能力が長けていないと大手事務所のパートナーになるのは難しい。

つまり、大手事務所の弁護士として生き残るためには弁護士としての能力だけでなく、事務所内ポリティクスを熟知して、その中でうまく泳げる能力が必要だ。この能力は弁護士としての能力より要求される場合もある。

事務所内でのパートナーたちの勢力争いがどうなっているのか、どのパートナーにどんなクライアントがいて、どの程度稼いでいるのか、パートナー同士の力関係がどうなっているのかなど、他の弁護士とカジュアルな会話をしながら情報を収集する。その情報を最大限活用して、どのパートナーに近づいてどのパートナーから仕事を任されるのがいいのか、知人から仕事を依頼された時にどのパートナーにどのように話しを持っていけば、自分のクライアントとしてそのクライアントと信頼関係を築いていけるのか、パートナーからクライアントを盗まれたりしないですむのかといったことを学んでいかなければならない。逆に、パートナーからこいつは自分のクライアントを盗もうとしているのではないかという懸念を感じさせないように気をつけることも重要である。
自分にクライアントがついて事務所の中である程度力をつける前に、パートナーに目をつけられて追い出されてしまってはどうしようもない。

日本の場合、大手事務所が発達してきたのはここ10年くらいであり、日弁連や地方弁護士会の重鎮は、通常10人とか20人以下の弁護士がいる事務所であり、また、自分が事務所のボスという弁護士も多い。言葉でうまく説明できないが、大きな組織の中で泳いでいるアメリカ事務所のパートナー弁護士との違いを感じることが多い。ただ、日本の法律事務所も徐々に巨大化しており、事務所内ポリティクスを分かった上で、うまく泳げる能力がもっと要求されるようになるだろう。


2013年9月25日水曜日

今後は弁護士を目指すべきでないだろう ― たとえ司法改革がなかったとしても


司法改革の失敗により、法曹を目指す人が減ったと言われているが、司法改革がなかったとしても日本の弁護士を目指すことを人に勧めるかと聞かれれば、多分勧めないのではないかと思う。

バブル期の日本の人口はアメリカの人口の半分であり、第2の経済大国であった。当時、中国はグローバルな経済活動からは遮断された眠る大国であった。
現在日本の人口は、アメリカの人口の3分の1に近づいている。第2の経済大国の座を中国に譲り渡した。これから生産人口は激減する。優良な企業は日本国内より海外での販売を重視する。ソニーの新しいプレーステーションは日本で発売される3ヶ月も前にアメリカやヨーロッパで発売されることになっているそうだ。日本の企業ですら、日本市場を重要視しなくなってきた今、海外の企業が日本市場を重視するだろうか。最近の大企業は日本語が話せる外国人を多く採用している。

現在一時的に景気が良くなっているが、過剰な国債発行や少子高齢化等の根本的な問題が解決される兆しは全くない。東京オリンピックが終わった後あたりから、一時的に忘れられていた問題が再認識されるようになるだろう。

縮小していく日本でしか通用しないことだけを学んでもこれから30年、40年現役を続けなければならない若い世代が将来食っていけるかどうか疑問を感じる。海外でも通用する何かを持っている者と、日本でしか通用しないことしかできない者との格差が開くことは確実だろう。日本でしか通用しないことを仕事として食っていくためには、国家による保護主義的な政策と、国内だけで需要を充たせる人口が必要であるが、今の日本からそのどちらもなくなりつつある。

今後生き残るために英語ができることは必須条件で、さらにプラスして海外でも通用する専門分野を持つことが必要となる。その専門分野に関しては英語で説明できる能力が必要になる。

30年40年前は外国語ができることで個人が得られる情報にあまり差はなかったが、インターネットを通じてどのような情報も手に入れられる現在では、日本語しか分からないのと、外国語、例えば英語が分かるのとでは得られる情報が全く異なる。日本語しか分からないのでは文盲と同じである。同じはずの情報が日本語では不正確な場合もある。例えば、今日のニュースで、日本語では「東京エレクトロンと米アプライドマテリアルズが経営統合」となっているが、英語のニュースではすべて、「アプライドマテリアルズが東京エレクトロンを買収」と記載されている。随分ニュアンスが違う。英語が分かれば、アメリカの有名な大学の授業がYoutube等で無料で見ることができる。

インターネットの発達により、現在は離れた所からリモートで仕事ができる。場合によっては海外でも仕事ができるので、能力さえあれば、日本にいながら海外の会社の仕事をすることも可能である。逆に海外にいながら、日本の会社のために仕事をすることができる。つまり能力さえあれば、仕事の可能性が格段に広がる。反対に、今まで日本語という壁に守られていた仕事が海外に流出する可能性がある。つまり日本語しかできないことで仕事が得られなくなる可能性があるのだ。

今から弁護士を目指すというのは、日本でしか通用しないものを勉強することになる。かなり優秀でない限り、3年~4年という長い時間がかかるし体力も消耗してしまう。それにより、必須条件の英語と国際的に通用する専門分野を学ぶ時間と気力を失う人が多い。

これから30年、40年現役を続けなければならない若い世代のためになって考えると、たとえ法科大学院への学費などがなかったとしても、日本の弁護士は心から勧められる職業とは言いがたい。他の事を学ぶ時間を潰してまで目指すべき職業なのだろうかと疑問を感じないではいられない。

さらに付け加えると、今回の司法改革で十分認識されたと思うが、弁護士というのは、国が制度をいじっただけで、路頭に迷ってしまう者が多く出てしまうような職業である。日本の法制度変更によって日本での外国弁護士の活躍の場がさらに増えれば、日本でしか通用しない日本の弁護士資格のみによって食べていくのはますます大変になるだろう。


最後に付け加えると、アメリカの弁護士資格と違って、日本の弁護士である旨を名刺に記載するには、強制加入である弁護士会に所属し、年間60万円から100万円の弁護士会費を支払わなければならない。アメリカの弁護士資格であれば、単に名刺に「弁護士」と記載するために登録したとしても、経費はほとんどかからない。例えばニューヨーク州は2年間で、375ドル、つまり4万円弱である。つまり、日本の弁護士資格を資格として使わない人が名刺に「弁護士」と記載して対外的に交渉相手からの信頼を得るというという目的で登録しておくにはあまりにも経費が高く、使い勝手が悪すぎる。年間60万円を40年支払い続けたら2400万円になるが、日本の弁護士であることにそれだけの価値があるだろうか。経費がかかりすぎるから弁護士資格を得ても登録する予定はないという人がいるかもしれない。しかし、最初から弁護士登録する予定がないのであれば、法曹資格を目指す意味があるのだろうか。名刺に弁護士と記載することもできないのだから。

2013年9月19日木曜日

恐るべきアメリカ弁護士のチャージ

クライアントに対するPre-billをチェックしていたところ、進行していないケースに関してチャージがついているのに気付いた。何故チャージ時間がついているのかと不思議に思って内容を確認すると、ある弁護士が、私と事件に関してコンファレンスをしたとして0.4時間つけていた。0.4時間と言っても馬鹿にならない時間である。彼のアワリーレートは750ドルだからだ。300ドルになる。
そういえば、チャージをした弁護士と「あのケース進行が止まっているけれども・・・」という世間話をしたのを思い出した。それも3分くらいである。0.4時間は、24分であり、実際にかかった時間の8倍である。

普段不機嫌そうにしているその弁護士が、やたらニコニコと話しをしてくるなあとは感じていた。こういうことだったのか。私と話している時間をクライアントにチャージできると思ったのか。

このようなチャージをする弁護士は淘汰されると思うかもしれないが、そうでないのが怖いところである。アメリカの法律事務所はこのような弁護士をむしろ歓迎しているようである。チャージ時間が一定時間に達しない弁護士は事務所を追い出される。弁護士達は必死になってチャージする。パートナーは自分のクライアントでなければ、かまわずチャージする。そのクライアントが逃げていっても、自分のクライアントでないからかまわないのである。それより、目先のチャージ時間数達成の方が大事である。それによって、自分のボーナスなどが決まるからである。実際、リーマンショックの際に、パートナー以外の弁護士に関して言えば、仕事を早く済ませてチャージ時間が少ない弁護士はリストラされ、時間をだらだらとつける弁護士が生き残っていた。

事務所を辞めさせられる恐怖、一度得たステイタスを失う恐怖は人間の良心を蝕んでいく。ここで書いたことはたかが300ドルであるが、誰も注意しないと、これがどんどん膨れ上がるのである。また、同じ案件に係わる複数の弁護士が少しずつでも毎日、多めに時間をつけていけば、不当な時間数はどんどん膨れ上がる。

大手事務所はすべて同じような経営方針をとっているので、どの法律事務所に依頼しても多かれ少なかれ同じようなことが起こる。高すぎるからといって淘汰されないのである。アメリカではディスカウントしてる小規模事務所の信用性は低く、ある程度の規模の企業になると、弁護士のノルマの厳しい大手事務所に依頼せざるを得ない。



2013年9月11日水曜日

コネがあるのも実力のうち ― アメリカ法律事務所就職にもコネは重要

日本人は「アメリカは実力主義だ」というが、「コネがあるのも実力のうち」と考えれば、それは正しいが、コネは実力に含まれないと考えているのであれば、それは間違っている。

コネというと聞こえが悪いが、コネクション、ネットワークと言えば分かりやすいかもしれない。例えば、日本の新人弁護士が即独立してもネットワークがないので仕事が来ないという場合、当たり前のことを言っているに過ぎない。

ここで言っているコネとは、ビジネスに有利となるコネである。

例えば、アメリカ流に考えると、日本で批判される天下りはビジネス上合理的な慣行である。天下りを受け入れることで、元官僚が官僚時代に築いた人脈が会社のビジネスに役立ったり、将来の天下りを期待する官僚から不利な扱いを受ける可能性が低くなるかもしれないからだ。

アメリカの法律事務所に就職する場合に、トップレベルのロースクールを優秀な成績で卒業したという本来の能力的な部分を強調して就職活動に挑む人は多いが、事務所に多大なビジネスを引っ張ってこれるコネがあるという実力に頼って就職活動に挑む人もいる。例えば、「自分は大手企業の法務部長と強力なコネがあり、その企業は自分が就職した法律事務所に仕事を依頼する」とその法務部長が書いた推薦状を持参して就職活動をした場合、かなりの法律事務所が採用を考慮するであろう。
また、法務部の重要なポジションにいた人物が法律事務所に就職活動してきた場合、それがビジネスにつながるとして、その人物の実力自体はあまり考慮せずに採用する可能性はある。

要するに、合法的にビジネスを引っ張ってこれる能力があれば、それは実力のうちとみなされて、就職ができるのである。

逆にビジネスに有利とならないコネは、コネ以外の実際の能力が伴わない限りあまり役に立たない。例えば、パートナーが三流のロースクールを普通の成績で卒業した息子を自分の所属する事務所に就職させてくれと言っても、他のパートナーの反対によって実現するのは難しいだろう。もし、オーナー弁護士がオーナーとしての特権をかざして周りの反対を押し切って馬鹿息子を多額の給料を払って採用したとしよう。クライアントを多く持っているビジネス上手な弁護士が他の事務所に移籍してしまうだろう。

ロースクールの1年のコースであるLL.M.のみを取得してもアメリカの事務所で就職できないが、3年のJDコースを出ると就職できると考えている人がいるようだが、日本人にとってそれはあまり当てはまらない。
十分なコネクションとネットワークがあるLL.M.修了者とネットワークがないJD修了者がいれば、十分なコネがあるほうが絶対的に有利である。

ネットワークのないJD取得者が、アメリカ大手事務所に就職できたとしても、将来的にネットワークを広げてクライアントが自分についてくるという状態を作り上げられなければ、最終的には事務所を辞めるか、企業内弁護士のポジションを探すことになるだけである。

日本で生まれ育ってアメリカの大手事務所のパートナー弁護士になっている人は何人か知っているが、日本で大学を卒業して就職してコネを築いた後に渡米し、LL.M.のみ取得して弁護士になっている人が意外と多い。
最終的にはコネがないとビジネスにつながらないので、パートナーとして続けていけないのであろう。

コネがあるのも実力のうちである。

2013年9月4日水曜日

アメリカ弁護士資格は名刺の飾り?


法科大学院を卒業して、就職口が見つからずに、いわゆるノキ弁(事務所の軒先を貸してもらっているだけの原則事務所から給料をもらわない弁護士)をしている新人弁護士が、アメリカに留学してアメリカの弁護士資格を取得したいと熱く語っていた。どうやら、その弁護士には色々な誤解があるようである。同じような誤解をしている弁護士のために、幾つか問題点を列挙しておこう。

アメリカに留学してロースクールでLL.M.の学位を取得すること、ニューヨーク州の弁護士資格を取得することは資金さえあれば案外簡単であるが、修習もなく、比較的簡単な司法試験に合格したところで、「ニューヨーク州弁護士」は名刺の飾りに過ぎず、実務に関する知識は限りなくゼロに近い。

では、日本の四大大手事務所所属の弁護士のようにアメリカの事務所で研修させてもらえばよいと思うかもしれないが、そんなに甘くない。日本の大手事務所の弁護士がアメリカの大手事務所で1年間研修をするが、それは、その日本の事務所が既にそのアメリカの大手事務所に仕事を依頼しており、米国事務所はお客様の要求なので研修を受け入れているに過ぎない。大手事務所所属であっても、パートナーが直接研修をお願いしない限り、研修できない。つまり、なんらコネがないノキ弁には、米国事務所で研修できる可能性は限りなくゼロに近い。たとえ、親などのなんらかのコネを通じて研修先を見つけたとしても、個室を与えられて放置される可能性が高い。日本の弁護士事務所と違って、全ての弁護士が個室を持っているアメリカでは「門前の小僧習わぬ経を読む」というような研修の仕方は無理である。一緒に働かせてもらわない限り、他の弁護士が何をやっているのか全く分からないからである。

アメリカ弁護士資格があっても実務に関する知識はゼロに近いので、研修なしに日本に帰ってきて、渉外事件の経験弁護士のいない事務所で、自分は渉外事件も扱えますと宣伝してそのような事件を扱うことは弁護過誤にもなりかねない危険を伴う。また、渉外事件のあるような比較的規模の大きな会社は、渉外の経験のない小さな事務所に事件を依頼するといった危険を冒さない。つまり、未経験のまま渉外ができますと宣伝しても仕事が来ないだろう。

LL.M.の学位を取得してニューヨーク州の弁護士資格を取得するすれば、ある程度英語の判例を読めるようになるが、日本に帰ってきて英語にも接しないような仕事をし続ければ、1年間学んだことは、あっという間に過去のことになる。

留学後渉外をやっている事務所に就職しようと思っても、修習直後に大手事務所に就職できた弁護士であっても留学後に場所がないような人がいるのに、一旦ノキ弁になった弁護士に敗者復活の可能性はほとんどない。

最近、司法試験予備校で、LL.M.留学講座のようなものがあるようだが、修習直後の就職がうまくいかなかった弁護士がさらにお金をかけて留学しても期待した結果が得られるのかかなり疑問である。法科大学院になってから収入源の減った予備校が、さらなるビジネスチャンスを求めてLL.M.留学を奨めているのかもしれない。米国弁護士という名刺の飾りのために、600万から800万円もかけて留学するのはコストパフォーマンスが悪すぎる。特に、既に法科大学院と貸与制で浪費した600万円の回収見込みもない弁護士にさらにこれだけの出費を要する道を奨めるのは、どうかと思う。

2013年8月19日月曜日

司法改革の最終的被害者は大企業になるのでは? - その4


司法改革の最終的被害者は大企業になるのでは? - その3


つづき。。。

現在は、旧司法試験最後の質にばらつきがない世代が40歳前後の弁護士として活躍しているが、この世代が50代になる頃まで司法改革の失敗がこのまま放置されれば、日本の法曹界の異変がはっきりと見えるようになるだろう。

質のばらつきが広がることで、弁護士というだけでは社会的信用を得られない。ブランド力のある事務所の弁護士であることが、社会的に信用を得るために必須となる。さらに、大手事務所に勤務する弁護士が勝ち組で、個人を相手とする弁護士やマチ弁は負け組みと揶揄する風潮が発生しかねない。今までは、小さなマチ弁事務所で採算の取れないような人権活動をやりたいと思う優秀な弁護士がいた。それは、弁護士は社会的に信頼され、尊敬される職業だという誇りがあったからであろう。マチ弁は負け組みと揶揄されるようになれば、優秀な弁護士は大手事務所や大企業以外で働くことを考えなくなるだろう。

「司法改革の最終的被害者は大企業になるのでは? - その3」で記載したとおり、資金力と仕事内容の面で圧倒的に優位に立つ外資系事務所が市場に数少なくなった優秀な弁護士を吸い上げるだろう。吸い上げられるのは新人ばかりではない。日本の大手事務所から経験弁護士をクライアントごと引き抜こうとする外資系事務所が発生するだろう。

こうなると、大企業は大手事務所、特に外資系事務所に依頼する傾向が強まる。この傾向が何を意味するかと言えば、余っている弁護士は大勢いても、企業法務をやる上で必要な実務経験をつめない弁護士が数多く発生するということだ。企業が弁護士の質と経験不足に不安を感じることで、高くても大手の有名な弁護士、特に外資系に吸い上げられてしまった優秀な弁護士に依頼せざるを得なくなるだろう。

このブログでも何度も取り上げているとおり、外資系事務所、特に米国事務所はビジネスに長けている。事務所内部にマーケティング部があるのが通常なのだ。どのような経路をたどるか分からないが、最終的に彼らに多額のリーガルフィーを支払うことは避けられないであろう。それは、米国政府の圧力による制度の変更を伴うかもしれない。日本の事務所のように下手なディスカウント合戦で自滅したりしないことは確かである。

大企業もリーガルフィーを下げるために今より多くの社内弁護士を雇うという方針を決定するかもしれない。しかし、新人弁護士を雇ってもあまり役に立たない。社員を留学させて米国弁護士資格を取らせてみても、それだけでは役に立たない。外資系事務所等で最低3年から5年の実務経験を積んだ弁護士を社内弁護士として採用しない限り、社外弁護士の仕事を評価したり、社外弁護士に適切な指示をすることでリーガルフィーを減らすことはできないからである。もし、外資系事務所で3年から5年の実務経験を積んだ弁護士を社内弁護士として採用しようと思ったら、それなりの給料を支払わないわけにはいかないだろう。人間らしい生活がしたいので、少しくらい給料が下がっても社内弁護士に転身したいという人はいても、給料が2分の13分の1になってもいいという人はまずいないだろう。

競争の時代なのだから、安くする事務所は幾らでもあるだろうという反論があるかもしれない。しかし、質のばらつきが広がれば広がるほど、安かろう悪かろうという推定が働く。安売りをしている事務所には軽々しく依頼できなくなる。
 
大企業は、ある程度思い切った給料を支払って、経験のある社内弁護士を雇い、さらには、ビジネスに長けた英米系事務所にかなりの額のリーガルフィーを支払わざるを得ないような時代がやってくるだろう。

弁護士が増えたのだからリーガルフィーが高くなるなんてことはありえない思うかもしれないが、掃いて捨てるほど弁護士がいるアメリカで時給が10万円を超える弁護士に依頼する大企業が多くいるのである。現にアメリカで法的問題が発生したときに、安さを売りにしている小さな事務所に依頼している日本の大企業があるだろうか。

弁護士を安く雇いたいという動機が垣間見る司法改革であったが、最終的には、大企業が支払うべき全体としてのリーガルフィーが格段にあがってしまうという皮肉な結果に終わるのではないかと予想する。


2013年8月15日木曜日

司法改革の最終的被害者は大企業になるのでは? - その3



つづき。。。

大手事務所は、これからどんどん少数派になる優秀層の新人弁護士を自分のところに囲い込まなければならない。その時、強敵となるのが外資系、特に英米系法律事務所である。

優秀な人材を囲い込むには、二つの重要な条件がある。高い報酬と、優秀層がやりがいを感じられる仕事があることである。

外資系事務所で東京にオフィス(単なるリエゾンオフィスではなく)を有するのは英米でも巨大事務所と言われる事務所に限られる。弁護士のアワリーレートも高く、事務所内での競争も激しく、弁護士に対するノルマも厳しい。しかし、資金力があり、弁護士への報酬が格段に高い。また、英語を必須とするグローバルな仕事も結構あるので、弁護士としては仕事にやりがいを感じやすい。また、海外企業の日本関連の仕事を行うことも多く、クライアントや他の弁護士と英語でコニュニケーションをとるなど、日本の大手事務所とは違ったグローバル感覚を味わえる。

この点、大手の日本法律事務所は、外資系事務所にはかなわない。外資系に対しては厳しくディスカウント要求しないが日本の大手事務所に対してはディスカウント要求する日本企業は多い。日本法律事務所の主な収入源は日本企業であるが、外資系事務所の収入源は世界の有名企業である。つまり、大手であっても日本法律事務所は、英米系事務所ほど資金力がない。また、日本の大手事務所には留学経験者が多いとはいえ、たった1,2年の留学経験に過ぎず、渉外事件を英米系事務所の助けを借りずに処理できるだけの能力はないことが多い。つまり、外注に出すのである。大企業もそれは分かっており、大手事務所には、マンパワーが必要なM&Aなどの依頼に限って、グローバルな渉外事件は英米系事務所に直接依頼するところが多い。マンパワーが必要な仕事の歯車として働かされても、やりがいを感じることはあまりない。つまり、新人弁護士報酬の面でも、やりがいを感じる仕事の面でも日本の大手事務所は英米系法律事務所に見劣りしがちである。つまり、少なくなってきた優秀な新人弁護士が英米系事務所に流れる可能性が高くなってきたのである。

実はこれは新人弁護士に限ったことではない。既に業界で有名な弁護士に魅力的な条件を提示して大手事務所から引き抜くという英米系特有の方法もある。

日本資本の大手事務所は、英米系事務所が手薄なアジアに支店を出して巻き返しを図っているが、司法改革の失敗が放置され、これ以上優秀な新人弁護士が減り続けたら、英米系事務所に対抗できるのか分からない。既に、大手より若干規模の小さい日本の事務所のなかには、英米系事務所の一部になった事務所もでてきている。


この傾向が、なぜ、本稿のタイトルである「司法改革の最終的被害者は大企業になるのでは?」につながるのだろうか。

つづく。。。
司法改革の最終的被害者は大企業になるのでは? - その4
 

2013年8月13日火曜日

司法改革の最終的被害者は大企業になるのでは? - その2

司法改革の最終的被害者は大企業になるのでは? - その1

つづき。。。

弁護士の数は増えたが、質はまちまちであり、優秀な質の高い弁護士は極一部であるという共通の認識がある場合、法律事務所の選択に気をつけなければ、例えば80パーセントの割合で質の悪いリーガルサービスしか受けられないと分かったら、恒常的に弁護士を使う必要がある企業は法律事務所選択に神経をとがらせることになる。

リーガルサービスの特徴は、専門家でなければ客観的に質を評価することが非常に難しいこと、サービスの提供を受ける前にどのようなサービスを受けられるのか分かりにくいこと等々他のサービスと異なる点が非常に多い。良い法律事務所を選択すると言っても、それは口で言うほど易しいものではない。
リスクを避けたがる日本人の特徴から考えると、知名度があり、優秀との推定が働く弁護士(有名な法科大学院を卒業したか、予備試験合格者)しか採用しない事務所で、海外留学経験をして米国弁護士資格も有している弁護士が多くいる、元高裁判事経験者、元キャリア官僚出身者の弁護士もいる事務所を選択しておけば、まずは間違いがないだろうと考えがちである。そのような事務所を選んでおけば、法務担当者は事務所選択を誤ったと責任を負わされる可能性も低くなる。

サービスの良し悪しの判断が難しい市場で質にばらつきがあると、萎縮的な効果が発生する。
例えば、市場に30パーセントの優秀な弁護士がいたとしても、保守的な大規模中規模企業は、市場にいる30パーセントの優秀な弁護士に依頼するのではなく、例えば優秀そうに見える肩書きを持つ10パーセントの弁護士にしか依頼しなくなる。萎縮的な効果によって依頼が10パーセントの弁護士に集中するのである。
この萎縮的な効果により更なる問題が発生する。弁護士の数が増えたうえで、依頼が一部の弁護士に集中すると、弁護士であっても弁護士としての経験をつめなくなる弁護士の割合が激増することである。それは今までのように新人弁護士に限った話しではない。例えば離婚、相続、貸金返還などの事件処理の経験がいくらあっても、それだけでは企業法務にはほとんど役に立たないだろう。大企業が大手事務所を選択する傾向が強まると、小さい事務所に勤務している一般的な弁護士は企業法務の経験を全くつめなくなる。給付制、貸与制問題で、最終的には修習をなくそうという動きも出てくるだろう。修習がなくなれば、経験のあるなしという弁護士間での新たな格差が広がる。どの事務所に就職したかで弁護士としての経験が全く異なってしまう。小さな事務所では個人相手の事件の経験しか経ることができない。そうすると、小さい事務所を選択する危険がますます増大してしまい、企業が大手事務所を頼る傾向に拍車がかかる。

小さい事務所は、ブティック事務所という形で、特定の分野に特化して、企業のクライアントを持ち続けるか、一般市民向けのマチ弁事務所になるかという選択を迫られる。ただ、ブティック事務所は、その特定の分野の需要が経済情勢などから落ち込んだ時に、経営難から大手事務所に吸収される危険を抱えることになる。

こういうと大手事務所の独壇場のように思えるかもしれない。しかし、そうとは言い切れない。

英米系の法律事務所が現状をチャンスとばかり入ってくるからである。

2013年8月8日木曜日

司法改革の最終的被害者は大企業になるのでは? - その1


弁護士が増えることで価格競争になり、弁護士を安く使えるようになるというのが大企業から見た司法改革の目的であったような気がする。しかし、その目的は本当に達成されるのか疑問である。日本と比較したら信じられない数の弁護士を輩出しているアメリカを見ていると弁護士の数が増えることは、リーガルフィーを下げることにはつながらないのではないかと考えざるを得ない。日本にも今まで以上に高いリーガルフィーを支払わなければならない時代が到来するのではと思う。その理由は、一般に言われているような、弁護士が増えれば訴訟が増えるなどという短絡的なものではない。

まず、価格競争になるためには、マーケットに出回る製品の質にそれほど違いがないことが大前提となる。質が悪くて使い物にならない製品が多く出回っていて、極一部の製品のみ質が良いという認識がマーケットに広がっていれば、極一部の質の良い製品に人気が殺到し、その製品の価格が高騰することもありうる。

市場の極一部に質の良い製品があるのだが、それがどの製品なのか、専門家にしか分からないということになれば、専門家にお墨付きをもらった極一部の製品が値上がりするだろう。

さらには、製品として既に出来上がっているのではなく、注文を受けてから特注で製造されるもので、注文を決めた際にはうまく出来上がるかどうか分からないということになれば、特定の有名な職人に注文が殺到するだろう。有名な職人が一人で作るのではなく、職人の所属する会社がチームとして製造するということになれば、有名な職人が所属する会社がブランド化し、その会社に注文が殺到する。
 
司法改革の最大の成果は、弁護士の数は増えたが、質はまちまちであり、優秀な質の高い弁護士は極一部であるという共通の認識がマーケットに広がりつつあることだ。後で説明するが、この認識が果たす役割は想像以上に大きい。

また、リーガルサービスの場合は、提供されたサービスの良し悪しを客観的に評価するのは非常に難しい。
さらに、リーガルサービスは、既に出来上がっている製品を購入するのとはかなり異なる。サービスを受ける前に最終的にどのようなサービスが提供されるか分からないし、誰がサービスを提供するかでサービス内容が大きく異なる。また、間違ったサービスが提供されると重大な結果が生じかねない。間違っていなくても、最高のサービスが提供されたかされないかによって結果に大きな差が出る可能性もある。特に大企業にとって、提供されたリーガルサービスが悪かったことで損失を被ることは甘受できるものではない。

これらの条件は、リーガルフィーをあげるための必須条件となる。
 

2013年8月2日金曜日

弁護士報酬の二極化


アメリカでは弁護士の二極化が顕著であるが、弁護士報酬の二極化も顕著である。1時間で1000ドル(約10万円)チャージする弁護士がいるかと思えば、勝訴しなければ1セントも報酬を支払う必要はありませんと言ってテレビで宣伝する弁護士もいる。
弁護士報酬が二極化する理由は色々あると思うが、個人的には、弁護士というだけでは質が保証されないことと、実務経験を得るのが非常に難しい環境にあることが挙げられるのではないかと思う。
大企業はリスクを避けるために大規模で名前の知れている事務所以外は使わないところが非常に多い。望む結果が得られなかった場合に、事件の筋が悪かったのか弁護士の質が悪かったのか客観的に判断することは難しく、責任者としては下手に無名の小さな事務所を使ったことで弁護士選任責任を負いたくないのかもしれない。
大手事務所には全てのものが集まってくる。豊富な資金力と事務所のブランド力により優秀な人材が集まりやすい。高い初任給を求めて、有名ロースクールで優秀な成績を修めている学生が殺到する。高額な学生ローン返還のためにも初任給の額は事務所を決める上での優先事項となる。裁判官や政府の監督官庁の中でも定評がある有名な弁護士を資金力で引き抜くことができる。ロースクールを卒業してから政府の重要ポストに就いた弁護士が(アメリカには相当数いる)、大手事務所に天下りしてくる。それらを求めて、大手クライアントが集まる。大手クライアントを抱えれば、大手クライアント特有の事件について豊富な実務経験もった弁護士が育つ。そうすれば、弁護士報酬を高いままでもクライアントが離れないので、報酬額が高くなる。
大手事務所についてのみ説明したが、この逆の現象も起こるわけである。
日本でも現在の司法改革の問題点がこのまま放置されれば、旧司法試験合格者が極少数派になる頃には、弁護士報酬の二極化は避けられないだろう。現在存在する中間層の弁護士は海事や知財などの特殊専門分野を除いて一掃される可能性があるだろう。

大手企業は、弁護士報酬が高くても、法曹界に少なくなっている優秀な人材を引き抜いていける資金力のある大手事務所、特に英米系大手事務所に依頼せざるを得なくなるだろう。法科大学院の奨学金と修習の貸与金の返還義務を負う新人弁護士は初任給の額が事務所選びの優先事項になることは間違いないだろう。大手事務所は元裁判官や元官僚を営業のために引き抜くだろう。それらを求めて大手クライアントが集まる。すると、やりがいのある事件が集中する大手事務所に魅力を感じて優秀な人材がさらに集まってくる。そして、事務所のブランド力で弁護士報酬額が決まることになる。
 
その反対の極には、薄利多売でやっていける業務を中心的に扱う弁護士が発生するだろう。損害賠償額が低くて訴額に応じて裁判所に支払う費用が高額になる日本では「勝訴しなければ1円も報酬を支払う必要はありません」という商法では食べていけない。単価が下がれば、薄利多売でやっていける業務とならざるを得ないであろう。ここでは能力よりかは営業力で生き残りが決まるのであろう。
 

2013年7月27日土曜日

司法試験合格率のトリック


ニューヨーク州の司法試験の合格率は全米的に見ると低く、ニューヨーク州の司法試験は他の州と比較して難しいと言う人がいるが、それは間違いだと思う。受験する人のレベルによるだけである。ニューヨーク州は、LL.M.という1年ロースクールのコースを修了した人にも受験資格を与えている数少ない州の一つである。LL.M.の受験資格で受験する人のほとんどは、英語は第2外国語である。彼らの合格率は実に30パーセント台なのである。これに対し、JDという3年のロースクールのコースを修了した人たち(メインはアメリカ人)の合格率は実に80パーセントを超えている(7月実施の試験の場合)。合格率の低いLL.M.卒業生の合格率を単純に一緒にしてしまえば、合格率が6575パーセントと低くなるのも当然である(7月試験の場合)。

ニューヨーク州の場合、司法試験は年2回、7月と2月に行われるが、上記の7月の試験の合格率の方が圧倒的に高い。これも、受験する人の質の問題だと思う。2月に受験する人の多くは、昼間働きながら夜間にロースクールに通って12月に卒業した人か、前年の7月の試験に落ちた人である。つまり、未だに昼間働いていて勉強に時間を費やすのが難しい人か、英語が第2外国語のLL.M.卒業生をメインとする不合格経験者である。7月と同じような試験を実施しても絶対評価をすれば合格率が4050パーセントと低くなるのは当然というべきだろう。

合格率というのは実にトリッキーなもので、受験者の質に大きく左右される。合格率が低いからと言って試験が難しいわけではないことを念頭に置かなければならない。

逆に合格率が高いからと言って試験が易しいわけではない。例えば、日本の法科大学院が設立される前の司法試験合格者が500700人だった頃、司法修習所で行われた2回試験(司法修習所を卒業して法曹資格を得るための最終試験)の合格率はほぼ100パーセントに近かった。しかし、決して試験が易しかったわけではなかった。

日本の司法試験の合格率について色々言う人はいるが、受験生の質によってかなり左右されることを念頭においておく必要があるだろう。

 

2013年7月25日木曜日

沼の底から這い上がれない現実


リーマンショックの直後にアメリカのロースクールを卒業した世代は人生の出だしで躓き、そこから這い上がろうとしてもなかなか這い上がれない現実にぶち当たっているようだ。

20092010年はコンスタントに新卒弁護士を採用してきた大手事務所であっても新卒の採用を行わなかった事務所は多い。そこで、特に2009年、2010年にロースクールを卒業したJD取得者たちは、アソシエイト弁護士として法律事務所の仕事に就くことができず、短期のバイトのような仕事やパートで法律に少し関連する仕事に就いたりした者が多かった。景気が少しずつよくなり、大手事務所は以前のように新卒を採用するようになっているが、大手事務所が新卒として雇うのは、現時点での新卒であり、2009年、2010年に卒業したけれども就職ができなかった人たちではない。短期やパートの仕事では、履歴書に書けるような経歴はないと言っても過言ではない。つまり、かれらは新卒ではない未経験者と扱われる。2,3年の経験弁護士の就職先はあるが、短期の仕事を転々とした未経験弁護士は法律事務所の面接にすらこぎつけられないだろう。インハウスのポジションもないだろう。インハウスになるには、一般的に少なくとも2,3年の中大手事務所での勤務経験が要求されるからだ。
こうなってしまったら、弁護士の資格とは全く関係ないフルタイムの仕事を探すのが現実的なのかもしれない。

この失われた2年間にロースクールを卒業して当時必死に就職先を探していた人に最近会った。卒業から今まで短期の仕事を転々としているようであったが、もう3年以上経ってしまったことにあせりを感じているようだった。ロースクールを卒業するのに幾らつぎ込んだのだろう。一般的には1000万円くらいかかるのが普通であるが、借金はどのくらい残っているのだろうか。

アメリカには同じような境遇のJuris Doctor (法務博士)たちが多くいるのだろう。しかし、彼らの話を聞く機会はあまりない。

2013年6月29日土曜日

弁護士会の勧誘活動


最近、American Bar Association (ABA)から勧誘の電話がよくかかってくる。限られた期間内だけ無料でメンバーになれ、その期間が終了したあともメンバーシップを続ける義務はないから会員にならないかと何度も電話がかかってくる。いつも、今仕事が忙しいのでと話しを聞かなかったが、一度だけ話しを聞いてみた。無料メンバーシップの案内を送ると言うので、了承した。本当にABAが何度も電話をかけてきているのかと半信半疑のところもあったが、確かにABAから手紙が送られてきた。
基本的にアメリカでは弁護士会に加入することを強制されない。弁護士会は任意加入団体なのである。アメリカの全国的な弁護士会である American Bar Association (ABA)であっても(日本で言えば日弁連のような規模である)、任意加入団体である。したがって、会員が会費を支払っても入りたいと思う魅力的な会にする必要がある。高い会費を請求するが、会員にとって何ら利益がないというような弁護士会であれば、誰も入会しない。つまり、弁護士会として成り立たない。会費は、弁護士になった最初の年は無料で、年間200ドルから300ドルという日本の弁護士会と比較したら、極わずかである。会員がネットワークを広げるためのイベントや、CLEクレジットとなるセミナーを会員価格で受講できたりと得点も用意している。勧誘の際も、会員になった場合の得点を熱心に説明していた。
これに対して、強制加入である、つまり、弁護士会に所属しないと弁護士と名乗ることすら許されない日本の弁護士会は、会員である弁護士の利益を考えているのか非常に疑問であるにも関わらず、会費は想像を絶する高さである。強制加入なので、日本で弁護士と名乗ったり、名刺に弁護士と記載するためだけでも、全国的な弁護士会である日弁連と地方の単位会の弁護士会に所属しなければならない。それぞれが、別々に会費を請求しているが、両方併せると年間60万円から100万円の弁護士会費を支払うことを強制される。弁護士になってから数年は若干の減額があるが、それでもアメリカとは比較にならないほど高さである。これだけの費用を30年支払い続けたら、信じられない額になるのは容易に想像できる。退職金も厚生年金もない弁護士にとっては大出費である。少し考え方を変えて、300人の弁護士がいる大型事務所の弁護士会費を単純に60万円×300人と考えると、年間で2億円近い額になる。これだけの会費を支払っているのだから何らかの利益が得られるのかと思うと、会務をボランティアでやるようにとさらなる義務が課されるだけである。会務をやらないなら5万円の追加会費を支払えという単位会すらある。

ロースクールが導入され、弁護士の数が増え、競争が激化している日本において、従来型の弁護士会がいつまで維持されるのだろうか。任意加入団体になった弁護士会から勧誘の電話がかかってくる日が来るかもしれない。

2013年6月20日木曜日

ソクラテスメソッドによるロースクールの授業


アメリカのロースクールでは、重要判例が多数掲載されているテキストを使い、授業が始まる前に各自決められた判例を読んできて、それに基づき、いわゆるソクラテスメソッドで授業が行われることが多い。判例は余計な部分は略されているとはいえ、一つ10ページから20ページ、中には50ページ程度あるものもある。授業では、一つ一つの判例について、教授が学生に対して事実関係や結論を質問し、その判例から導き出せる法、つまり判例法を明らかにしていこうとする。

判例法をとるアメリカでは、この授業の方法には意味があると思う。なぜなら、弁護士の業務の一部として、判例を調査し、その判例から法を見つけ出す作業がある。例えば裁判での準備書面を起案するとき、自分の事件に不利な判例があれば、判例の中から法的に意味を持つ重要な事実を探し出し、自分の事件の事実と判例の事実とは異なるので、この判例法は自分の事案には適用されないと主張する。もし自分の事件に有利な判例があれば、判例の中で法的に意味を持つ重要な事実を探し出し、この事実と自分の事件の事実が同じなので、自分の事件も同様の法によって判断されなければならないと主張する。

このような主張をするためには、大量の判例を読み、その中から法的に意味のある事実関係と法を見つけ出すための訓練が必要となる。ロースクールでのいわゆるソクラテスメソッドはそれを助けるものであると言えよう。

最近は日本でも法科大学院でソクラテスメソッドによる授業があると聞くが、判例を大量に読ませるアメリカ型の授業でないことを祈るばかりである。

日本は判例法ではなく成文法の国である。最初に読むべきは判例ではなく、法律(条文)である。

私がもし法科大学院でソクラテスメソッドで授業をやるように言われたら、学生には、まず複数の条文を宿題として渡し、さらに事例をいくつか渡すだろう。どの条文を当てはめればいいかを学生に質問し、条文のどの文言の解釈すべきで、その文言をどう解釈すれば、どのような結論になり、反対の結論に持っていくならどのように解釈すべきかを質問するだろう。そのうえで、「君が答えた解釈は、〇〇先生の学説に近いね」などと解説し、通常の授業形式で学説や判例を教えていくだろう。
条文のどの文言をどのように解釈すれば自分の案件に有利になるのかを自分で考え出せる力をつければ、弁護士として今まで勉強しなかった法律にあたったときに、役に立つのである。

日米の根本的な違いを考えずに、アメリカ方式を輸入するだけにはならないで欲しい。

2013年5月26日日曜日

日本のアシスタントが恋しくなる訳


弁護士の目から見ていて不思議に思うのは、アシスタントの仕事ぶりと給料である。最近の日本のアソシエイト弁護士の給料は、アメリカのアシスタントより低いようである。中規模事務所以上のアシスタントで年収400万円以上もらっているのは普通であり、人によっては800万円もらっている人がいるようである。パラリーガルになれば、もっともらえる可能性もある。大手事務所のパラリーガルになれば、クライアントにチャージした時間数によってボーナスも出るので、年収1000万円以上になることもありうる。

これだけ給料をもらっているのだから、さぞ一生懸命働いているのだろうと思ったら大間違いである。他のアシスタントと雑談をしたり、友人に電話をかけていたり、あまり熱心に仕事をしていないのに、5時か6時になるとあっという間にいなくなってしまうのが一般的である。

そんな働き方をしていても弁護士からお叱りを受けているアシスタントはほとんどいない。叱ったりすると、その後気持ちよく働いてくれなくなるか、辞めてしまうだけなので、弁護士としてもアシスタントにかなり気を使っている。弁護士ごとに担当のアシスタントが決まっているため、担当のアシスタントが気持ちよく働かなくなったら、弁護士としても困る。他のアシスタントに頼むわけにはいかない。もし、他のアシスタントに頼んだとしても、自分が担当する弁護士の仕事を先に済ませないといけないからと言って、後回しにされるか、断られるかのどちらかである。クライアントを多く持っている事務所内でも権力がある弁護士であれば、事務所に文句を言ってアシスタントを辞めさせることもできるのだが、通常の弁護士にはそのような権力はない。それなら、就業時間中に雑談したり、友人や旦那に電話をかけているアシスタントの行動に目をつぶるしかない。

ただ、中には熱心に働くアシスタントもいる。そのようなアシスタントは貴重なので、例えば、弁護士が他の事務所に移籍する場合などに一緒に移籍できるように手配してもらえることになる。

リーマンショックの直後には、弁護士のリストラだけでなく、アシスタントのリストラも盛んであった。その際、私用電話ばかりして、5時ピッタリに事務所を出ていたアシスタントなどは、辞めさせられていた。このときばかりは、事務所も一応アシスタントの仕事ぶりを見ているのだなあと感じた。

2013年5月5日日曜日

一部の弁護士が儲ける制度


アメリカ人はつくづくビジネスが上手であると感じる。弁護士も例外でない。現在、アメリカの大手事務所で多く採用されている法律事務所のシステムはリーガルサービスによって一部の弁護士が金を儲けることができる。

損害賠償額が高い訴訟を成功報酬で受任しても一時的に高い報酬を受け取ることができるかも知れないが、勝訴するかどうか分からない事件を成功報酬一本で引き受けるのは危険が大きすぎるし、継続的に安定した報酬を得られるわけでない。

一時間の仕事につき幾らかかるというアワリーチャージで報酬を請求すれば、危険が少ないし、継続的に安定した報酬を得られる。しかし、アワリーチャージだと、124時間しかないので、アワリーレートを高くしても得られる報酬には限界がある。決められたある一定時間以上の時間をチャージすれば、ボーナスは出るが、自分で働いた時間を基準にしか給料が出ないのであれば、限界がある。

そこで自分で働いた時間を基準として給料を得られるシステム以外のシステムが必要になる。ビリングパートナーというシステムはその一つである。事件ごとに誰がビリングパートナーになるかが決められる。通常、そのクライアントを持ってきたパートナーがビリングパートナーとなる。
ビリングパートナーは自分が働いてチャージしたのではなく、他の弁護士がチャージしていても、そのうちの一定割合を自分の報酬として手にすることができる。つまり、他の弁護士にその事件をやらせることによっても自分の収入額が高くなるのである。

ただ、それでもある程度限界がある。そこで、エクイティーパートナーというシステムがある。総利益はエクイティーパートナーたちの更なる収入になる。

エクイティーパートナーが儲かるためには、下の弁護士、特にアソシエイトに働いてもらう必要がある。「大手事務所のアソシエイトに課されたノルマ」で説明したようにアソシエイトには考えられないノルマが課され、ノルマを果たせないアソシエイトはいずれは辞めさせられる。

こうしてエクイティーパートナーはアソシエイトをはじめとして他の弁護士を酷使して何億円という収入を手にするわけである。

ピラミッドのトップにいる一部の弁護士が多額の収入を得られるシステムが上手に出来上がっている。