2014年9月28日日曜日

高額な弁護士会費の納得の仕方

アメリカ法曹とは関係ないのであるが、高額な日本の弁護士会費について一言。


実は、弁護士登録の申し込みをするまで、弁護士会費があれほど高いものとは知らなかった。登録5年くらいの間に徐々に会費が上がっていき、最終的に年間の支払額は、修習生の観点から見れば、信じられない額に到達する。どうも、この会費は公益にも使われたりするらしい。何故、それに対して一般人に過ぎない弁護士がお金を拠出しなければならないのだろうか。


自分なりに考えた理屈は以下のとおりであった。
弁護士になるための修習生の期間、年間400万円近い給料プラス手当をもらった。さらには、実務家たちから手取り足取り実務の手ほどきを受けたが、一人年間300万円の授業料を支払っても民間の教育機関が同じ教育をすることは出来ないだろう。すると、年間の一人にかかる費用は700万円となり、2年間の修習によって1400万円になる。この部分は国民の税金から支払われているので、この部分を弁護士になって、弁護士会費を支払うことで少しずつ社会に返さなければならないということなのだろう。


しかし、新制度によって弁護士になった人たちは、どのようにしてこの高い会費を納得しているのだろうか。教育の費用は法科大学院の学費を支払うことで自分たちで負担している。修習期間は貸与制である。修習の期間もわずか10ヶ月である。法科大学院に補助金が支払われているようだが、一箇所に集中していた修習所と異なり、各地に散らばっているために、経済的に見れば非効率で、個々人への恩恵はあまり感じられない。


新制度で弁護士になった人にとっては、何故これほど高い会費を支払わなければならないのかという疑問に対する回答を何一つ見つけられない。


新制度で弁護士になった弁護士が増えれば増えるほど、この不満は堆積し、そのうち爆発するのだろう。ただ、爆発する時期が分からないだけである。



2014年9月20日土曜日

アメリカの法律事務所の危うい一面

アメリカでは、500人、1000人規模の法律事務所が経営破たんすることがある。それも、雪崩を起こすように、大きな事務所が半年くらいの間にバタッと倒れてしまうことがあるのだ。


その理由について色々考えてみたが、大きく上げると3つあると思う。一つ目は、弁護士は経営のプロではないが、法律事務所のトップは経営のプロでない弁護士がなるということである。二つ目は経営状態に関する正確な情報が外部に分からないだけでなく、内部の人間にすら分からないことである。三つ目は、弁護士の移籍は頻繁で、クライアントが弁護士の移籍に伴って移籍先の事務所に移っていくことである。


私の個人的な感覚からすると、二つ目の「経営状態に関する正確な情報が外部に分からないだけでなく、内部の人間にすら分からないこと」というのは実は大きな要素を占めているような気がする。法律事務所はいくら弁護士が500人以上、スタッフメンバーを合わせれば1000人を超えるような巨大な事務所であっても単なるパートナーシップの団体に過ぎない。株式会社のような株主への開示や説明義務が詳細に決められているわけではない。個々のパートナーの契約によって決められるわけだ。その個々のパートナーの契約は事務所ごと又はパートナーごとに様々であり、外部からだけでなく、内部で働いている弁護士にとっても個々の契約内容が分からないことが一般である。パートナーという肩書きがあっても経営方針についてや財政について全く知らされていない人も多くいる。名前だけパートナーで実はアソシエイトとあまり変わらないような働き方をしている人もいる。事務所の内部情報について言えば彼らは全くもって萱の外である。
そこで、憶測が働く。「あの事務所は危ないらしいぞ」という噂が走ると、クライアントを抱える弁護士はクライアントとともにその船から飛び降りる。特に、有名な規模の大きい事務所の噂の方が広まりやすいので加速も早い気がする。最近、そのような噂はネットを通じて広まるので、事務所の経営陣は多額のお金を支払って、ネットで良い情報を流すように法律関係メディアに発表をしたり、悪い噂を記載する記事をブロックするサービスにお金をつかったり、必死になる。


クライアントとともに弁護士がグループでいなくなったとしても、事務所の家賃は払い続けなければならないというのが一般である。例えば、ビルの3フロアを借りていた事務所が、弁護士がいなくなったので、1つのフロアの賃貸契約を解約することは許されない。直前に5年契約を更新していたら、5年間は解約できないのだ。弁護士がごっそりいなくなっても、家賃を5年間支払う義務がある。
又貸しするのは自由であるが、借りる人を探すのは容易でない。


また事務所によって異なるが、エクイティーパートナーになるには一定額を拠出することが多い。拠出額に応じて利益の分配を受けられるのである。お金を拠出したパートナーが事務所を移籍するときは、事務所はそのパートナーに拠出した金を返さなければならない。事務所にとっては、クライアントを取られてしまうという痛手だけでなく、拠出金を返還するという痛手まで負うことになる。事務所が危なくなってくると、拠出金を得ようと、パートナーを増やそうとする事務所もある。そこで、一般論として事務所にパートナー弁護士ばかりがいる事務所は要注意と言われる。


法律事務所というのは、資産として持っているのは流動性が非常に高い「弁護士」+クライアントという商品と事務所名というブランドくらいしかないにも関わらず、かなりの借金をして経営しているところが以外に多い。借金経営をしている事務所が多いという証拠に、借金をしないでやっている事務所はわざわざ「うちの事務所は他の事務所とは違って借金経営ではないのです」ということすらある。
さらに法律事務所は、一般の企業と違って、「今年得た利益は、来年のためにプールしておいて、不況に備える」という発想に乏しいようだ。


上記のような事情が重なり、クライアントとともに弁護士が流出すると、固定費を支払うことが出来なくなり、最終的に事務所がなくなってしまう。1000人以上の弁護士がいた事務所ですら、半年で消滅してしまうことすらある。


立派そうに見える法律事務所でも薄氷を踏むような状態で経営しているところもあるかもしれない。内情を外部だけでなく内部の弁護士にも隠し続けながら。





2014年9月14日日曜日

日本の司法修習と米国ロースクールの比較

日本の2年間の司法修習の前期後期修習の授業とアメリカのロースクールの授業を比較してみたいと思う。


司法修習が2年であった頃は、前期修習と後期修習が4ヶ月ずつあり、ロースクールの授業の様なかたちをとって行われていた。期間は合計でわずか8ヶ月であるが、そこで学んだ内容の質の濃さは文章では十分に説明できるものではない。すべての修習生は3パーセントに満たない合格率の司法試験に合格している。法律的な基礎知識は十分ある。ただ、彼らは、事実がはっきりしている事例の法適用についてしか学んだことがない。断片的な証拠や事実の集まりを使ってどうやって法を適用する前提となる事実を作り上げていくか、つまり実務についての知識はない。司法修習の授業はその足りない部分にフォーカスして行われる。教官も法律的な基礎知識が足りないことで理解が出来ない修習生の面倒を見る必要はなかった。
前期修習では週に1回から2回程度、後期修習では、週に2回から3回程度、即日起案の日がある。朝修習所に行って、約100ページから150ページの白表紙を渡される。実際の事件で実際に使われた証拠や書類等が複数入っている。例えば刑事事件であれば、検面調書、員面調書のコピーや、証拠のナイフの写真、検死解剖の結果に関する書面が入っている。午後5時までにすべての証拠を読んで、さらに、判決や冒頭陳述を起案して、理由を説明したりする。1行おきで、40ページから60ページの文章を書くことになる。1週間後くらいには、実際の裁判官、検察官、弁護士の教官が個々の起案に詳細なコメントをつけて修習生に返却し、解説授業が行われる。


当時は、何も感じていなかったが、アメリカのロースクール卒業後にアメリカの中~大規模の法律事務所に入ったとき、日本での2年修習がいかに贅沢で充実したものであったかを思い知った。なんというすばらしいものが日本にはあったのだろうかと。アメリカでは、大きめの事務所であれば各事務所が研修を行うので研修と仕事を通じて、小さめの事務所であれば、仕事のみを通じて実務を学ぶことになる。実際に私も研修を受けたが、日本で得られた2年修習と比較したら、おままごと程度に過ぎない。


アメリカの通常のロースクールの授業は、日本の2年修習時代の前期後期修習と比較したら、言うまでもなく、足元にも及ばない授業ばかりである。法的基礎を教える授業であり、学生は比較的やさしいアメリカの司法試験にも合格していないのである。学生の基礎的な質問で授業が中断されることがしばしばである。学生は実務を学べるレベルには至っていない。
ただ、アメリカのロースクールでも一つだけ心に残る授業があった。それは、既にアメリカで弁護士資格を持っている人を対照したLL.M.である。つまり、このLL.M.を取得しても基礎科目を受講できないので、アメリカの司法試験を受験する資格は得られない。そこで、既に弁護士であるか、JDを卒業してアメリカの司法試験受験資格を得ている人しか入学できない。JDや他のLL.M.コースの人は授業を見学することすらできない。授業はすべて夜に行われ、教授のほとんどは現役実務家である。このLL.M.で、実際の事件の証拠を使って、10人程度の裁判官を含む実務家がサポートし、Scheduling orderからトライアルまで1学期をかけてやるという授業があった。私と一緒に組んだ学生が10年の実務経験のある弁護士だったという幸運もあり、多くのことを学んだ。この授業は日本での修習にも匹敵するものであった。


気付いたのは、司法試験に合格するだけの基礎知識がない学生に実務を教えることの限界である。基礎知識も実務の知識も中途半端になる。学んだつもりになって結局何ら得ていないということになりかねない。法的基礎知識があるかどうかのテストに合格した人に、前期修習後期修習で実務を教えるというのは非常に意味があったのだ。さらに、現役実務家から授業を受けるというのも非常に重要であったのだ。


日本は司法改革で日本独自の素晴らしい制度を失ってしまったようだ。残念でならない。



2014年9月7日日曜日

こうなることは分かっていたはず

アメリカとは関係ないが、まだ日本に法科大学院が出来る前の出来事である。


顧問先の社員のサラ金問題を解決するために、日本の訴訟を担当していたことがある。サラ金会社側は、支配人と称する弁護士資格のない者が裁判に出てきた。最初は、慣れていなくて、周りの弁護士を見ながら見よう見まねで発言している。本当に周りで見ていても危なっかしい気がした。ただ、いくつもの裁判を掛け持ちで担当しているようで、同じ日にいくつも裁判の期日を入れて裁判所をかけまわっているようであった。
驚いたのは、回を重ねていくうちに、その支配人が裁判に慣れて、あたかも弁護士のような振る舞いになっていったことだ。


裁判官「では、次回期日を決めましょうか。〇月〇日午後1時はいかがでしょうか」
支配人「申し訳ございません。その時間は他の裁判の期日が入っておりまして、さしつかえです。」


それだけではない。主張もまともになっていった。


そんな頃、法科大学院構想が本格化してきた。最終的には3000人合格との予定だった。


これは大変なことになると直感で分かった。弁護士、特にマチ弁がやっている事件の大まかにいって70パーセントくらい(私の勝手な感覚であるが)は、あんな難しい司法試験を受からなければ受任できないような事件ではなく、大卒くらいの人が、経験を積むことによってこなすことができる程度の事件なのである。この支配人が証明している。


つまり、特殊な技術や能力が必要な事件をこなせる能力をつけてその道の専門家にならない限り、何倍にも増えた法科大学院卒の弁護士と、70パーセントの事件を奪い合わなければならないということだ。たとえ法科大学院卒の弁護士が旧司法試験組みのような能力がなかったとしてもだ。もともと、70パーセントの事件を扱うには旧司法試験に合格するような能力がなくても問題なかったからである。あとは、営業や経営が上手な弁護士が競争を勝ち抜くだけである。


現在、弁護士の数が増えたことで弁護士、特にマチ弁の仕事の激減が問題化している。しかし、そんなことは昔から分かっていたはずである。少子高齢化によってマチ弁が扱うような事件が減ることも分かっていたはずである。法科大学院導入が決定したときに既に弁護士だったのであれば、この日に備えて対策を立てておくべきだった。


そう思うのは私だけであろうか。



2014年9月3日水曜日

捨てられる運命にある弁護士?

最近では、日本の大手企業でも終身雇用ではなくなってきている。上に行けば行くほどポストが少なくなって、リストラ対象になったり、外に出たらと遠まわしにささやかれることがある。

外に放り出されなくても、ある程度のポジションに着いた人が50代になると、役員にでもならない限り役職定年が目の前に迫ってくる。役員になれそうもないし、役職定年した年配の社員を見ていると、次の仕事を探したほうがよいのではと思うかもしれない。

そんな時に、以前から知っている米国法律事務所の弁護士に会って、「あなたはアメリカの弁護士資格があるんだから、うちの事務所で働きませんか」などと誘われるかもしれない。若い時にアメリカに留学して取得したニューヨーク州弁護士資格を生かすときが来たかもしれない、これは願ってもないチャンスと、思わず話しにのってしまうかもしれない。

要注意である。

日本の大企業である程度のポジションにいた人にとって、アメリカの弁護士はナイスな暖かい人との印象があるかもしれない。それは、単に、その人が資金力が豊かな日本企業という服を着ていたから受けられた待遇だったのだ。

アメリカの法律事務所がこのような大企業で働いていた人をパートナー弁護士として迎える理由はただ一つ、その人を通じてクライアントが来ると思っているからである。もしそれが期待はずれだったら、あっという間に捨てられてしまう。首を切られてしまう。1年、長くて2年で成果を出さなければだめであろう。アメリカは日本のように首を長くして成果が出るのを待ってくれない。

日本の企業が事務所を変えるという意思決定には時間がかかるのだから、あと1年待って欲しいと頼んでも無駄であろう。
そうやって捨てられてしまった弁護士の話を聞いたことがある。


アメリカの法律事務所からの甘い話しは要注意である。「雇いたいと言ってきた時はあんなに積極的だったのに、捨てる時は一瞬なんて。。。」と後で後悔することになるかもしれない。