2017年12月20日水曜日

法曹界だけではない

最近、アメリカの銀行の支店を改装して、今まであった銀行窓口をきれいさっぱりとなくす例が急増している。多機能のATMが増え、窓口がなくなり、個室になっている相談窓口だけが残っているのである。窓口で働いていた人はどこに行ったのだろうか。自分自身も、ほとんどの銀行関連の用事はインターネットを通じて済ませているし、現金を使うこともほとんどないので、お金を引き落とすことも滅多にない。日本の銀行でも大規模なリストラをするようであるが、15年前には、全く想像できなかった。今までの産業の常識がガラガラと音を立てて崩れている。

自動車業界をみると、15年前には考えられなかったテスラのような電気自動車の高級車が注目を浴びている。中国や欧州などでは積極的に電気自動車の普及を急ぐようであるから、電気自動車が主流になるという時代が来るのは遠いことではない。
そうなったら、ガソリンエンジン関連の部品を作っている会社にとっては、大変な時代がやってくる。ガソリン関連の会社も大きな転換を迫られる。

さらに、アメリカでは歯医者がオフィスに備えられた3Dプリンターのような機械で自前でクラウンを作るというのが増えており、歯科技工士のオフィスにクラウンの作成を依頼する数が大幅に減っているようだ。ここでも、業界の常識が崩れ始めている。


どんな業界にいたとしても、変化の速度が速い現代においては、一寸先は闇である。それは、法曹界に限ったことではないのである。
いつでも、アンテナを張り巡らせ、どのような変化が来るか、その変化に備えるためには何をすべきかを、適格に判断し、準備しておく必要がある。

司法改革についても同じである。司法改革が行われた時に法曹界にいた人たちが、一般人と同じ中立な立場で、司法改革によって、優秀な人が法曹を目指さなくなったことなどを理由に司法改革制度自体を批判することは、問題ない。
しかし、自分たちの仕事が減ったことの原因は司法改革にあるとして司法改革を批判することは、お門違いである。どのような職業についていたとしても、常に先を見て、それを前提として自分のスキルを需要に合わせて磨く必要があるからである。


2017年7月24日月曜日

法科大学院は加速させただけ

法科大学院は、司法改革の失敗としてやり玉に挙げられるが、結局、法科大学院がなかったとしても、マチ弁の状況は、今と同じようなことになったのではないかと思う。ただ、これほど急ではなく、少しずつ少しずつと。

少子高齢化に対する対策がほとんどないなか、企業は、着実に外を向いている。日本企業が海外で得る利益の比率が増えている。去年、アジアの国の中で、アメリカの企業を買収した総額は、中国を抜いて日本が1番であったと、あるアメリカの法律専門ウエブサイトが報じていた。

これはつまり、日本国内に関するものだけを扱う弁護士の需要が下がっていくことを意味しているのではないか。

また、日本の人口に占めるリタイア層が増えてくるのもマチ弁を直撃する。リタイアした高齢者がマチ弁に弁護士費用を支払えないだろう。
また、昔と比較して生活が苦しくなっている若者がマチ弁払うお金はないだろう。

また、インターネットの普及により、遅かれ早かれ、弁護士ドットコム等の、マチ弁の弁護士報酬を低下させ、マチ弁を疲弊させるウエブサイトが発達するのは避けられなかったはずである。

また、法科大学院がなかったとしても、年間の合格者を1500人程度に増やすことはできたのであるから、今ほど急激ではないとしても、裁判官や検察官の人数が増えなければ、廃業する人と比較すれば弁護士の数が着実に毎年1000人くらいは増え続けたわけである。

たとえ法科大学院ができなかったとしても、マチ弁の仕事が減り、人数が増えるというのは変わらないのだから、マチ弁が仕事にあぶれ、収入が減るという事態は長期的な目で見れば避けられなかっただろう。


ただ、法科大学院がなければ一つだけ違ったのは、弁護士になるまでにかかる費用を大幅に圧縮することが可能で、弁護士になるのが最終目的というわけではない優秀な人がとりあえず司法試験を受けてみるかと受験してくれたかもしれないという点だ。実際、法科大学院ができる以前は、国家一種を受験した人が、結構、ついでに司法試験を受験しており、その多くが択一試験に合格し、なかには最終合格している人もいるのである。
このようなかたちで司法試験に合格する人がいれば、他の分野で少し経験を積んだ後に、考えを変えて弁護士になるかもしれないし、多様な人材が法曹界に入るきっかけにもなったかもしれない。









2017年6月19日月曜日

日本の弁護士資格が有益な場合

日本の弁護士資格が有益な場合として一つ考えられるのは、カリフォルニア州の司法試験の受験資格を得られることだ。

ひと昔前までは、日本の弁理士の資格でもカリフォルニア州の司法試験を受験できたそうだが、もう、それはできなくなった。アメリカでPatent attorneyというと、弁護士資格と弁理士資格と両方の資格を持っている場合を指し、弁理士資格のみを有する場合は、Patent Agentと呼ぶ。日本では、弁理士会が会の名前を英訳するときにJapan Patent Attorneys Associationと訳しており、日本の弁理士の方々は自己紹介を英語でするときに、Japanese Patent Attorneyであると言っている。これが理由なのか、外国の弁護士に受験資格を認めていたカリフォルニア州は、日本の弁理士にも受験資格を認めていたようだ。しかし、最近認められなくなった。

カリフォルニア州で弁護士として登録して5年間何も問題がなければ、今度はワシントンDCの弁護士として弁護士登録することができる。

重要なのは、日本には、予備試験があり、頭が良ければ法科大学院に通う必要がない。さらには、修習の給付制度が復活したようなので、予備試験、司法試験、給付制の司法修習を経て、カリフォルニア州の司法試験に合格すれば、ロースクールの学費を支払うことなく米国弁護士になれるということである。米国のロースクールは信じられないほど学費が高い。これを支払わないでアメリカの弁護士になれるなんて、アメリカ人から羨ましがられるだろう。
人生の最初に借金まみれにならなくてもすむのである。
補足すると、カリフォルニア州は、今まで3日間であった試験の日程が他の州と同じように2日間に短縮された。

最後に問題になるのは、カリフォルニア州の弁護士資格を得た後に、会費が高い日本の弁護士登録を続けるべきか否かということに尽きる。


もし、アメリカに留学したいのであれば、ロースクールに留学するのではなく、ビジネススクールに留学するのが良いと思う。ロースクールはただひたすら言われた課題を読んで、一人で勉強することにほとんどの時間を費やさなければならないが、ビジネススクールであれば、グループごとにプレゼンをすることも多く、他の学生と共同で話し合いながら課題をこなしていく機会が多い。また、ビジネスにネットワークは重要であるとの認識から、アメリカ人学生が海外の学生とのネットワークを広げることにも積極的である。

2017年6月6日火曜日

情報の非対称性による逆選択

出張で日本の飛行機に乗った時に何気なく見た番組で説明されていた「情報の非対称性による逆選択」という言葉が今の日本の弁護士業界に当てはまるような気がしてならない。

番組では、消費者と生産者側の情報量が対象でない場合、つまり、消費者側に情報があまりなく、生産者側に情報が偏っている場合をを「情報の非対称性」というと説明があり、その例に、ワインが挙げられていた。それだけなら、「なるほど」という程度である。

面白いと思った話はプレミアムワインと普通のワインの例である。例えば、高いプレミアムワインと安い普通のワインがあり、消費者側がどうしてプレミアムワインが高いのか、その情報がない場合、分からない場合、プレミアムワインを選ばなくなり、プレミアムワインが売れなくなるので、最終的に、プレミアムワインは市場から消え、消費者がプレミアムワインと楽しむことができなくなるという話である。

これは、まさしく、今の弁護士業界に当てはまるのではないか。大手企業などは、インハウス弁護士も複数いるので、弁護士業務に関する情報も豊富で、プレミアム・リーガルサービスを受けるために高額な弁護士費用を支払う動機もある。これに対して一般の一生に1回弁護士に依頼するかどうかという程度の個人だと、弁護士業務や特定の弁護士に関する正確な情報があまりなく、「情報の非対称性」がそのまま当てはまる。そうすると、安いサービスを提供する弁護士がいれば、高い費用を支払ってプレミアム・リーガルサービスを受けるという動機もなくなり、プレミアムサービスを提供する弁護士は市場からいなくなるのではないか。

つまり、大手企業に対してリーガルサービスを提供する事務所はプレミアム・リーガルフィーを請求しても生き残れるが、一般消費者向けにリーガルサービスを提供する事務所は、プレミアム・リーガルフィーを請求する事務所は生き残れなくなり、料金を安くして薄利多売などの方法で生き残るしかなくなるのではないか。