2014年2月20日木曜日

アメリカで多数の弁護士が必要になるわけ

日本で弁護士の数を増やす必要があるという議論が主流であったころ、日本の弁護士の数はアメリカの弁護士数と比較されていた。

しかし、制度の違いを考えずに数だけ比較するほどおろかなことはない。

アメリカで多数の弁護士が必要になるのは当然である。制度が全く違うのである。

まずは、アメリカは対外的には一つの国であるが、50の独立国家がそれぞれ自分たちの法律をもっているのと変わらない。連邦政府は、一部についてしか法制定権限を持っていない。日本の中央政府と地方自治体の関係とは全く違うのである。50の国家があれば、50の国家に見合うだけの弁護士が必要になるだろう。
例えば、ある州で企業が事業を始める際に、州法と連邦法の両方の規制を調査しなければならない。また、同じ事業を他の州で行う場合には、他の州に関する規制を調査しなければならない。つまり、それだけ弁護士が必要になる。

たとえ、連邦裁判所であっても、日本の民事訴訟法規則のようなものは、各連邦地方裁判所が勝手に作っている。そこで、大手事務所であっても、自分のオフィスがない場所での訴訟については、そこの連邦地方裁判所の民事訴訟法規則や裁判官に熟知している地元の弁護士をローカルカウンセルとして雇うのである。当然、一つの事件に多くの弁護士を抱える必要が出てくる。

アメリカは原則として判例法の国であり、成文法の国である日本より、弁護士の業務内容が異なる。つまり、アメリカは原則として判例が法であるから、関連ケースに関する判例はすべて調べ上げる必要がある。自分のケースに都合の悪い先例については、自分のケースの事案とは〇〇が違うから自分のケースには適用されないと主張する。自分のケースに都合の良い判例は、自分のケースの事案と〇〇が同じだから、適用されるべきだと主張する。つまり、すべての判例の事案を読んで分析するという作業が必要になるのである。判例分析に費やす作業は膨大である。さらには、50の州で別々の判例があるので、前に調査した別のケースの判例は役に立たないことも多い。

ディスカバリーの制度がある。ここではディスカバリーが何であるかは割愛するが、この作業には膨大な作業が必要になる。つまり、多くの弁護士が必要になる。

アメリカでは個々の法律が非常に長く、解釈上問題となるような問題点が多い。日本では法案を作るのは行政官僚であるが、アメリカでは議員立法が主流である。日本の優秀な官僚が作った法案は、すべてのケースを綿密に計算し、簡潔で穴がない。これに対し、アメリカの法案は、非常に長く、解釈上問題があるようなものが多く、場合よっては間違いまであるようなものまである。法文が長く複雑になればなるほど、弁護士でなければ、解釈できない。また、曖昧な法文は、弁護士が法廷で争えるソースの宝庫となる。つまり、それだけ弁護士が必要となる。

議員立法が主流と言ったが、多数の弁護士を秘書として抱えている議員がほとんどである。それらの弁護士スタッフによって議員立法の案が作成される。つまり、それだけ弁護士が必要となる。日本ではほぼ考えられない。また、弁護士がロビーストとして働いていることも多いが、ロビーストという職業も、アメリカ特有の法律制定の仕組みと政党構造でありえる活動と言えよう。つまり、アメリカの猿真似をして日本の弁護士もロビースト活動を行おうというのは両者の違いを理解していない日本にありがちな勘違いである。

日本では弁護士が扱わないような分野でも、アメリカでは弁護士が扱わざるを得ないことがある。例えば、日本は、土地の登記が全国共通でしっかりしたものがあるため、土地の取引に弁護士が出て行かなくても大手の不動産会社に任せておけば、あとは司法書士を使うだけで足りる。アメリカでは不動産法もコモンローを原則とするアメリカでは、権利関係の調査も複雑で、弁護士が必要となる場合が一般的である。また、会社の登記関係などの日本では司法書士の仕事、特許の出願などの日本では弁理士の仕事も、基本的には弁護士の仕事である。

また、訴訟を起こしやすい制度が整っている。ディスカバリーによって証拠収集が可能になり、訴額によって裁判所に支払う費用が高くならない、懲罰賠償やクラスアクション、陪審制なども手伝って損害賠償額が高くなる。訴訟が起こしやすくなれば、多くの弁護士が必要になる。

アメリカは日本と比較すると行政サービスがあまり充実していないので、日本では行政がやるようなことを弁護士がやっていることもある。

そのほかにもアメリカには弁護士が必要な制度があらゆるところに見られる。すべて挙げればきりがない。


日本にいくら弁護士を増やしても、日本のドメスティックな事件を扱う弁護士の需要は増えるとは思えない。日本には、弁護士が必要になるアメリカの制度がないのである。

最後に一言付け加えるが、こんなに弁護士が必要になる制度があっても、アメリカでは弁護士が余っている。









2014年2月4日火曜日

クラスアクション制度、懲罰賠償制度、ディスカバリー制度を日本でも採用すべきか?

日本にはアメリカのような訴訟の数を増やすために必要な条件が揃っているという投稿をしたことがある。日本でもアメリカと同じように訴訟の数を増やすための制度、例えば、クラスアクション制度、懲罰賠償制度、ディスカバリー制度等のある意味、訴訟を提起された側の負担はかなり増すけれども、訴訟の数を増やす方向に向かう制度を導入しようという話しが持ち上がるかもしれないし、ある分野では実際に持ち上がっているようだが、



少し警笛を鳴らしたい。



日本企業がアメリカに進出する際、通常のビジネス感覚があれば、アメリカ進出によって得られる利益とアメリカ進出による危険を分析してビジネス判断を下すであろう。アメリカに進出する企業は訴訟を起こされる可能性や、そうなった場合の負担などのリーガル上の危険が日本に比較して膨大であることを十分認識しているであろう。それでもアメリカに進出するには、危険以上のアメリカに進出する魅力があるからである。


日本が、日本で事業を拡大する魅力を増大させることなしに、リーガル上の負担だけを増大させたら、どうなるだろうか。日本の優良企業が外を向いてしまうのではないか。また、海外の企業も日本に進出しなくなるのではないか。


例えば、日本とアメリカの人口比較を例にとって考えよう。
現在の日本の人口は、2014年1月1日現在で1億2722万人と言われているが、アメリカの人口は3億1700万人と言われている。アメリカは毎年人口が着実に増えているので、毎年人口が減り続けている日本の人口がアメリカの人口の3分の1以下になるのは時間の問題である。また、少子高齢化により、高齢者の比率が諸外国では考えられないほど高くなっている。
ちなみに1990年のアメリカの人口は2億5000万人で、日本の約2倍であった。

何が言いたいのかというと、人口の減少により購買力のある人口が減っている日本、今後の高齢化により購買意欲がある人口の割合が減ってくる日本に企業が魅力を感じるのかと問いかけたい。
現在は年金が保証されている高齢者が多いので高齢者にも購買欲があるが、これから年金支給開始年齢が上がれば、高齢者は生活最低限の物しか購入できなくなる。
日本のマーケットとしての価値が低下していくのである。



日本と対照的に、アメリカは先進国の中で一番高齢化が進んでいないし、移民を受け入れていることもあって人口が毎年着実に増え続けている。購買欲があって、ある程度高価なものを購入できる人が多く住んでいる魅力的なマーケットである。また、アメリカで企業の知名度が上がれば、その他の国でも知名度が上がり、グローバル企業になるための足がかりにもなる。

若干の危険があっても、魅力がそれをはるかに上回るので、企業としては進出に踏み切るのである。

人口減少と購買意欲のある人口比率が減ることが確実な日本はマーケットとして魅力がなくなっていく。それに輪をかけてリーガルの負担を増大させたら、日本はさらに魅力のないマーケットとなるのではないか。

既に、長く続いた円高によって日本企業の工場は海外に拠点を移してしまい、せっかくの円安があまり還元されていないと言われている。

日本が訴訟社会になれば、日本の優良企業はさらに海外を向くようになるのではないか。それにともなって、結局、日本企業の海外進出に関するリーガルサービスを手がけられるような弁護士の需要が高まるだけで、国内専門の弁護士の需要が高まるとは思えないのは私だけだろうか。