日本で弁護士の数を増やす必要があるという議論が主流であったころ、日本の弁護士の数はアメリカの弁護士数と比較されていた。
しかし、制度の違いを考えずに数だけ比較するほどおろかなことはない。
アメリカで多数の弁護士が必要になるのは当然である。制度が全く違うのである。
まずは、アメリカは対外的には一つの国であるが、50の独立国家がそれぞれ自分たちの法律をもっているのと変わらない。連邦政府は、一部についてしか法制定権限を持っていない。日本の中央政府と地方自治体の関係とは全く違うのである。50の国家があれば、50の国家に見合うだけの弁護士が必要になるだろう。
例えば、ある州で企業が事業を始める際に、州法と連邦法の両方の規制を調査しなければならない。また、同じ事業を他の州で行う場合には、他の州に関する規制を調査しなければならない。つまり、それだけ弁護士が必要になる。
たとえ、連邦裁判所であっても、日本の民事訴訟法規則のようなものは、各連邦地方裁判所が勝手に作っている。そこで、大手事務所であっても、自分のオフィスがない場所での訴訟については、そこの連邦地方裁判所の民事訴訟法規則や裁判官に熟知している地元の弁護士をローカルカウンセルとして雇うのである。当然、一つの事件に多くの弁護士を抱える必要が出てくる。
アメリカは原則として判例法の国であり、成文法の国である日本より、弁護士の業務内容が異なる。つまり、アメリカは原則として判例が法であるから、関連ケースに関する判例はすべて調べ上げる必要がある。自分のケースに都合の悪い先例については、自分のケースの事案とは〇〇が違うから自分のケースには適用されないと主張する。自分のケースに都合の良い判例は、自分のケースの事案と〇〇が同じだから、適用されるべきだと主張する。つまり、すべての判例の事案を読んで分析するという作業が必要になるのである。判例分析に費やす作業は膨大である。さらには、50の州で別々の判例があるので、前に調査した別のケースの判例は役に立たないことも多い。
ディスカバリーの制度がある。ここではディスカバリーが何であるかは割愛するが、この作業には膨大な作業が必要になる。つまり、多くの弁護士が必要になる。
アメリカでは個々の法律が非常に長く、解釈上問題となるような問題点が多い。日本では法案を作るのは行政官僚であるが、アメリカでは議員立法が主流である。日本の優秀な官僚が作った法案は、すべてのケースを綿密に計算し、簡潔で穴がない。これに対し、アメリカの法案は、非常に長く、解釈上問題があるようなものが多く、場合よっては間違いまであるようなものまである。法文が長く複雑になればなるほど、弁護士でなければ、解釈できない。また、曖昧な法文は、弁護士が法廷で争えるソースの宝庫となる。つまり、それだけ弁護士が必要となる。
議員立法が主流と言ったが、多数の弁護士を秘書として抱えている議員がほとんどである。それらの弁護士スタッフによって議員立法の案が作成される。つまり、それだけ弁護士が必要となる。日本ではほぼ考えられない。また、弁護士がロビーストとして働いていることも多いが、ロビーストという職業も、アメリカ特有の法律制定の仕組みと政党構造でありえる活動と言えよう。つまり、アメリカの猿真似をして日本の弁護士もロビースト活動を行おうというのは両者の違いを理解していない日本にありがちな勘違いである。
日本では弁護士が扱わないような分野でも、アメリカでは弁護士が扱わざるを得ないことがある。例えば、日本は、土地の登記が全国共通でしっかりしたものがあるため、土地の取引に弁護士が出て行かなくても大手の不動産会社に任せておけば、あとは司法書士を使うだけで足りる。アメリカでは不動産法もコモンローを原則とするアメリカでは、権利関係の調査も複雑で、弁護士が必要となる場合が一般的である。また、会社の登記関係などの日本では司法書士の仕事、特許の出願などの日本では弁理士の仕事も、基本的には弁護士の仕事である。
また、訴訟を起こしやすい制度が整っている。ディスカバリーによって証拠収集が可能になり、訴額によって裁判所に支払う費用が高くならない、懲罰賠償やクラスアクション、陪審制なども手伝って損害賠償額が高くなる。訴訟が起こしやすくなれば、多くの弁護士が必要になる。
アメリカは日本と比較すると行政サービスがあまり充実していないので、日本では行政がやるようなことを弁護士がやっていることもある。
そのほかにもアメリカには弁護士が必要な制度があらゆるところに見られる。すべて挙げればきりがない。
日本にいくら弁護士を増やしても、日本のドメスティックな事件を扱う弁護士の需要は増えるとは思えない。日本には、弁護士が必要になるアメリカの制度がないのである。
最後に一言付け加えるが、こんなに弁護士が必要になる制度があっても、アメリカでは弁護士が余っている。