アメリカの弁護士には、自分のことを「優秀な弁護士である」とか、「自分の事務所には優秀な弁護士がたくさんいる (だから自分に事件を依頼しなさいという意味)」という人は非常に多いのだが、残念なことに、本当に優秀な弁護士にめぐり合うのは非常に難しい。
優秀だという弁護士に仕事を頼んでみたら、基本的なことを理解していなかったり、間違ったことを言ったりする弁護士であることが判明する、なんてことはよくある。
以前、クライアントに依頼されて、超大手法律事務所の弁護士とのミーティングにクライアントと共に出席したことがあるが、有名パートナーが基本的なことについて間違ったことを言うので強く指摘したら、その有名パートナーは、「あとで調べる」と言ってその場を逃れた。調べた後に間違ったことが判明したにもかかわらず、自分が間違えたというふうに解釈されないような形でクライアントに説明するのが非常に上手なのに驚いた。これがこの弁護士の才能で、陪審員を信頼させるテクニックなのかと。
今の日本の弁護士事情は変わってきているのかもしれないが、少なくとも10年くらい前までは日本の弁護士に対して、優秀だと感心することの方が多く、がっかりするようなことはあまりなかった。
アメリカではがっかりすることの方が多い。
「優秀なアメリカの弁護士に出会ったら、その弁護士は、もう離さない。その人に何度も依頼する」と言っていた日本の弁護士に会ったことがある。それだけ、アメリカで優秀な弁護士を探すのは大変ということだ。確かにアメリカには使えない弁護士は多い。もしかすると、日本の優秀な弁護士に慣れてしまって、弁護士というのだから優秀に違いないと、間違った期待をしているのかもしれない。
ただ、大手の事務所(弁護士500人超の事務所)に新卒で入ってくる弁護士は有名なロースクールを優秀な成績で卒業しているので、ある程度ふるいにかけられている。また、大手事務所の使えない弁護士は辞めさせられる。そこで、期待はずれな弁護士に遭遇するという危険は、小さい事務所に依頼するより低くなる(ただ、能力よりか要領がよいだけという弁護士が必ずいるので、確率の問題に過ぎない)。
大企業が、巨額の弁護士費用を支払っても大手事務所に依頼する理由が分かる気がする。
日本でも優秀層が法曹を目指さなくなったと言われるようになったが、アメリカのようになっていく日も近いのだろうか。