2013年11月13日水曜日
法曹界も国際競争しているという認識が必要では? ― 予備試験受験資格制限が及ぼす悪影響
最近、日本の法科大学院が空洞化し、受験生が激減し、司法試験受験資格を授与する予備試験の人気が高まり、さらに法科大学院の人気が落ちているという話しを聞く。そこで、一部には予備試験の受験資格に制限を加えて、若くて優秀な大学生や大学院生の受験を阻もうとしているようだという話もあるようだ。
予備試験に受験制限を加えて大学生や大学院生に受験させないようにすれば、完全に司法試験から優秀な人材を遠ざけることになる。
法科大学院の学費と、貸与制、その先の就職難、高額な弁護士会費と、弁護士志望者にとって四重苦の時代に、なぜ救世主の予備試験に受験制限を課すのか。この制限によって法科大学院の学費と2年~3年間という貴重な時間を節約できないとなれば、大きな打撃である。また、優秀な人材は困難とされる資格試験にチャレンジする精神がある。予備試験がチャレンジに値するエリートコースとみなされなくなれば、つまり、受験資格制限がなされれば、チャレンジしたいと思う優秀なエリートから見ても日本の法曹資格は魅力のないものとなる。
では、その優秀な人材は何処に向うのか。
優秀な人材を遠ざけることが、どんな結果を招くか、もっと大きな視野から考える必要がある。
もともと国際取引などにも興味を持っていた法曹志望者たちは、大企業に就職しても機会があれば、アメリカのロースクールに留学するなどしてアメリカの法曹資格を取得する可能性は高いだろう。
以前は日本の司法試験に合格しなかった者がアメリカの資格を取っていると揶揄されたこともあったが、そんな時代はもう終わった。法科大学院に行くのは就職が失敗した者の逃げ道だと言う人すらいる今の時代に、日本の法曹資格なしにアメリカの法曹資格を取得するのを躊躇する者はいないだろう。
そのようにして、日本の法曹資格はないが、アメリカの法曹資格を持つものが、日本の企業内に増えていくことになる。
すると、どのような影響がでるだろう。
やはり、人間は自分が良く分かっている法律で仕事をしようとする傾向にある。企業内にアメリカ弁護士資格を持つ者が増えれば、アメリカの法律を日々の業務に持ち込みがちになる。例えば、企業内でアメリカ流の契約書を使う傾向が高まっている気がする。また、法改正をする際に、アメリカ法を参考とする法改正がますます増えるだろう。
このようにして日本法がますますアメリカ法に似通った法に改正されていく。それにより、米国の弁護士資格を持った者の活躍の場が広がることになるだろう。
また、日本の法曹への優秀な人材の枯渇は、日本の大手事務所の人材不足に直結する。そうなれば、大企業が英米系の法律事務所に依頼する傾向が高まる可能性もある。
こうして、日本の資格を持つ日本の法曹界自体が国際競争、特に米国との国際競争に敗れ衰退していくことになるかもしれない。
既にその傾向は始まっているのではないかと危惧している。
アメリカは日本から見ると1つの国であるが、実際は50の州があり、各州異なる法を持つ。連邦政府の権限はかなり制限されており、各州は、軍隊や外交権こそ有してはいないが、通常の国家に近い権限を持つ。また、ほとんどの州が陸続きであり、全州で英語が通用するのであるから、一つの州が、企業にとっても非常に不利な法律や税制度を採用したら、その州にいる企業は他の州に逃げていくことが可能である。逆に地理的な立地があまりよくない州や弱小の州は、企業にとって他の州より魅力的な法制度を整備することで、企業を誘致する。デラウェア州で設立された会社が非常に多くなったりするわけである。つまり、今のようなグローバル化が訪れる以前から、アメリカでは州同士で切磋琢磨していたわけである。そこで、法制度がグローバル化に与える影響についても熟知している。
これに対して、日本は、島国であり、今まで特殊な日本文化と日本語に守られていた。そこで、「グローバル化で外国と競争しなければならない」と口では言っていても、それが実際にどのようなことなのか実感としては分かっていない人が多い。
予備試験受験資格制限議論を含む現在の司法改革が、日本の法律事務所を英米系事務所との競争から撤退させるかもしれない、とか、アメリカ流の法制度の拡大につながるとか大きな視野を持って考え直してはどうか。