2013年11月1日金曜日
弁護士の使命は人権擁護 - のはずがない!?
日本では、「弁護士の使命と役割は人権擁護である」というのは皆が口をそろえて言うことである。もし、日本の弁護士がその感覚のままでアメリカの法律事務所で働いたら、カルチャーショックを感じることは間違いない。
確かにアメリカでも人権活動をする弁護士がいないわけではないが、それは極少数に限られる。基本的に、弁護士は法的サービスを提供すること報酬を得る職業であり、法律事務所はそれによって収益を上げる法人である。
「いやいや、アメリカは大手事務所でもプロボノ活動をして金銭的に余裕のない人の法律問題を解決したりしているじゃないか」という人がいるかもしれない。
以前、同僚が「裁判所に行って来た」というので、何の事件なのか聞いてみたら、「プロボノだよ。〇〇弁護士が、もっと法廷に行って、法廷での対応を経験して場慣れした方がいいから、プロボノ事件を受けて練習しろって言うんだよ。」
そうなのである。プロボノ事件は対内的には、クライアントさんの事件で失敗されては困るので、将来の本番に備えるための練習の場である。対外的には、営利ばかりをむさぼっているわけではなく、プロボノ事件も引き受けて社会のお役に立っていますと、良いイメージを発信するためのアピールの手段である。
若手弁護士にしてみれば、プロボノは、例えば、ヘアサロンのカットモデルの髪をカットするのと同じ感覚なのかもしれない。「練習中なので上手にカットできないかもしれませんが、我慢してください。あなただってサービスの対価をきっちりと支払っていないのだから。」また、プロボノ事件で費やした時間のうち一定時間はCLEクレジットの単位として認められる州も多いので、小規模の事務所の弁護士にとっては、外部主催のCLEクレジットの講座をお金を支払って受講するよりプロボノでも引き受けるか、ということになる。
日本でも、法科大学院制度が開始され約10年となる。法科大学院に高額の学費を支払い*、さらには、無給で修習をしなければ、弁護士になれない。加えて弁護士の人数増加により競争は激化し、日々の生活もままならない弁護士もいると聞く。また、一般のサラリーマンと変わらないかたちで企業で働いている弁護士も増えてきた。すると、本当に弁護士の使命は本当に人権擁護なのか、その根拠は何なのか、弁護士は単に法的サービスを提供することで報酬を得るサービス業者、あるいは、単に法的知識が豊富な一社会人に過ぎないのではないか、と考える弁護士も多くなってきたのではないだろうか。
「弁護士の使命と役割は人権擁護である」から人権活動を行うために資金が必要との名目で高額な会費を請求する弁護士会に対する不満を抱いている弁護士は増えてきたようだ。一つ前の投稿である「 弁護士会の矛盾と国際化からの立ち遅れ ― 日本の弁護士になることを勧められないもう一つの理由」のアクセス数が異様に多かったことがそれを物語っているような気がする。
*予備試験を合格すれば法科大学院を卒業する必要はない。