2013年8月8日木曜日

司法改革の最終的被害者は大企業になるのでは? - その1


弁護士が増えることで価格競争になり、弁護士を安く使えるようになるというのが大企業から見た司法改革の目的であったような気がする。しかし、その目的は本当に達成されるのか疑問である。日本と比較したら信じられない数の弁護士を輩出しているアメリカを見ていると弁護士の数が増えることは、リーガルフィーを下げることにはつながらないのではないかと考えざるを得ない。日本にも今まで以上に高いリーガルフィーを支払わなければならない時代が到来するのではと思う。その理由は、一般に言われているような、弁護士が増えれば訴訟が増えるなどという短絡的なものではない。

まず、価格競争になるためには、マーケットに出回る製品の質にそれほど違いがないことが大前提となる。質が悪くて使い物にならない製品が多く出回っていて、極一部の製品のみ質が良いという認識がマーケットに広がっていれば、極一部の質の良い製品に人気が殺到し、その製品の価格が高騰することもありうる。

市場の極一部に質の良い製品があるのだが、それがどの製品なのか、専門家にしか分からないということになれば、専門家にお墨付きをもらった極一部の製品が値上がりするだろう。

さらには、製品として既に出来上がっているのではなく、注文を受けてから特注で製造されるもので、注文を決めた際にはうまく出来上がるかどうか分からないということになれば、特定の有名な職人に注文が殺到するだろう。有名な職人が一人で作るのではなく、職人の所属する会社がチームとして製造するということになれば、有名な職人が所属する会社がブランド化し、その会社に注文が殺到する。
 
司法改革の最大の成果は、弁護士の数は増えたが、質はまちまちであり、優秀な質の高い弁護士は極一部であるという共通の認識がマーケットに広がりつつあることだ。後で説明するが、この認識が果たす役割は想像以上に大きい。

また、リーガルサービスの場合は、提供されたサービスの良し悪しを客観的に評価するのは非常に難しい。
さらに、リーガルサービスは、既に出来上がっている製品を購入するのとはかなり異なる。サービスを受ける前に最終的にどのようなサービスが提供されるか分からないし、誰がサービスを提供するかでサービス内容が大きく異なる。また、間違ったサービスが提供されると重大な結果が生じかねない。間違っていなくても、最高のサービスが提供されたかされないかによって結果に大きな差が出る可能性もある。特に大企業にとって、提供されたリーガルサービスが悪かったことで損失を被ることは甘受できるものではない。

これらの条件は、リーガルフィーをあげるための必須条件となる。