2013年8月13日火曜日

司法改革の最終的被害者は大企業になるのでは? - その2

司法改革の最終的被害者は大企業になるのでは? - その1

つづき。。。

弁護士の数は増えたが、質はまちまちであり、優秀な質の高い弁護士は極一部であるという共通の認識がある場合、法律事務所の選択に気をつけなければ、例えば80パーセントの割合で質の悪いリーガルサービスしか受けられないと分かったら、恒常的に弁護士を使う必要がある企業は法律事務所選択に神経をとがらせることになる。

リーガルサービスの特徴は、専門家でなければ客観的に質を評価することが非常に難しいこと、サービスの提供を受ける前にどのようなサービスを受けられるのか分かりにくいこと等々他のサービスと異なる点が非常に多い。良い法律事務所を選択すると言っても、それは口で言うほど易しいものではない。
リスクを避けたがる日本人の特徴から考えると、知名度があり、優秀との推定が働く弁護士(有名な法科大学院を卒業したか、予備試験合格者)しか採用しない事務所で、海外留学経験をして米国弁護士資格も有している弁護士が多くいる、元高裁判事経験者、元キャリア官僚出身者の弁護士もいる事務所を選択しておけば、まずは間違いがないだろうと考えがちである。そのような事務所を選んでおけば、法務担当者は事務所選択を誤ったと責任を負わされる可能性も低くなる。

サービスの良し悪しの判断が難しい市場で質にばらつきがあると、萎縮的な効果が発生する。
例えば、市場に30パーセントの優秀な弁護士がいたとしても、保守的な大規模中規模企業は、市場にいる30パーセントの優秀な弁護士に依頼するのではなく、例えば優秀そうに見える肩書きを持つ10パーセントの弁護士にしか依頼しなくなる。萎縮的な効果によって依頼が10パーセントの弁護士に集中するのである。
この萎縮的な効果により更なる問題が発生する。弁護士の数が増えたうえで、依頼が一部の弁護士に集中すると、弁護士であっても弁護士としての経験をつめなくなる弁護士の割合が激増することである。それは今までのように新人弁護士に限った話しではない。例えば離婚、相続、貸金返還などの事件処理の経験がいくらあっても、それだけでは企業法務にはほとんど役に立たないだろう。大企業が大手事務所を選択する傾向が強まると、小さい事務所に勤務している一般的な弁護士は企業法務の経験を全くつめなくなる。給付制、貸与制問題で、最終的には修習をなくそうという動きも出てくるだろう。修習がなくなれば、経験のあるなしという弁護士間での新たな格差が広がる。どの事務所に就職したかで弁護士としての経験が全く異なってしまう。小さな事務所では個人相手の事件の経験しか経ることができない。そうすると、小さい事務所を選択する危険がますます増大してしまい、企業が大手事務所を頼る傾向に拍車がかかる。

小さい事務所は、ブティック事務所という形で、特定の分野に特化して、企業のクライアントを持ち続けるか、一般市民向けのマチ弁事務所になるかという選択を迫られる。ただ、ブティック事務所は、その特定の分野の需要が経済情勢などから落ち込んだ時に、経営難から大手事務所に吸収される危険を抱えることになる。

こういうと大手事務所の独壇場のように思えるかもしれない。しかし、そうとは言い切れない。

英米系の法律事務所が現状をチャンスとばかり入ってくるからである。